乗鞍岳と両面宿儺
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 飛州乗鞍岳といえば、山国飛騨の象徴的な山です。信州では、朝日が真っ先にこの山に当たることから朝日岳といい、木曽義仲は旭将軍と名乗ったといいます(雲上銀座への道)(流葉山日ノ観ヶ岳源氏岳参照)。「乗鞍山縁起」には、大同ニ(807)年に田村将軍が乗鞍三座の神に戦勝祈願を込めたとあります(山名の不思議)。
 そしてもうひとつ、飛騨の伝説的人物に両面宿儺(りょうめんすくな)があります。両面宿儺は、養老4(720)年に編纂された日本書記に出てきます。宿儺は、乗鞍岳を信仰の山としました。乗鞍岳山頂直下にある権現ヶ池に住民を集めて、登る太陽の光を水面に映して崇拝しました。そのため、丹生川村の乗鞍岳山麓の神社は、今でもほとんど日抱神社といいます。(飛騨ぶり街道物語)
 日本書記での両面宿儺は、天皇に反抗した異形の人物です。つまり書記によると、仁徳天皇の御世(西暦400年頃)の頃の事です。飛騨に現れた宿儺は、1つの体に2つの顔があり、4つの手と4つの足がありました。宿儺は、4つの手で弓矢を射ることができ、住民を略奪ました。そこで仁徳天皇は、難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)を派遣して宿儺を討伐しました。(美濃と飛騨のむかし話)
 ところが、飛騨や美濃各地に残る伝説での宿儺は逆に住民の英雄でした。飛騨の伝説での両面宿儺は、法螺貝を吹きながら岩壁の中から突然現れ、身の丈は5m以上もありました。両面の異形であることは日本書記と同じですが、宿儺は住民に信仰や農耕を指導し、丹生川村日面の鍾乳洞(両面窟)に住みました。丹生川村千光寺の寺伝によると、この寺は、仏教寺院として開山される前、両面宿儺によって開かれました。また宿儺は、朝廷から派遣された武振熊とは戦わず位山に案内して、帰順の意としてイチイの木で作った笏(しゃく)を献上しました(位山丸黒山船山参照)。今でも特に丹生川村では、両面様といって両面宿儺を崇めています。(飛騨の鬼神両面宿儺の正体)
 乗鞍岳は、水の神、雨の神、雨乞いの神として、飛騨・信州両方も含め遠く尾張方面まで信仰を集めてきました。「日本三代実録」の貞観9年(867年)の条には、乗鞍岳に梓水神と名づけてあります(雨乞棚山参照)。乗鞍岳へは、乗鞍スカイラインを使わず飛騨側の千町尾根から登ると味わい深い山旅ができます。(北アルプス乗鞍物語、雲上銀座への道)
 火山としての乗鞍岳は、第四紀中期の30万年ほど前から活動が始まりました。(アースウオッチングイン岐阜)最も大きくて新しい権現池火山体の剣ヶ峰は焼く9,200年前に噴火しています。(中部・近畿・中国の火山)(白山焼岳御嶽山大日ヶ岳参照)
【参考】長沢 武(1986):北アルプス乗鞍物語、ほおずき書籍
瀬口 貞夫(1992):雲上銀座への道、岐阜新聞社
谷有ニ(2003):山名の不思議、平凡社
飛騨文化自然誌調査会(2001):飛騨ぶり街道物語、岐阜新聞社
廣田照夫(2000):飛騨の鬼神両面宿儺の正体、飛騨春秋
岐阜県小中学校長会(1970):美濃と飛騨のむかし話、岐阜県校長会館事業部
高橋正樹・小林哲夫(2000):中部・近畿・中国の火山、築地書館
岐阜県高等学校地学教育研究会(1995):アースウオッチングイン岐阜、岐阜新聞社


乗鞍岳の火口湖・権現池
【登頂日】1996年8月25日など
【標高】3026m
【場所】岐阜県大野郡丹生川村
【記録】6:30 阿多野郷林道終点 9:15 阿多野郷分岐着 9:25 阿多野郷分岐発 10:35 剣ヵ峰山頂着 11:55 剣ヵ峰山頂発 12:05 大日岳着 12:15 大日岳発 13:00 阿多野郷分岐着 13:25 阿多野郷分岐発 15:10 阿多野郷林道終点