旭日の当たる流葉山
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 流葉山は、昭和44年(1969年)の岐阜国体のスキー場として有名です。流葉山に関しては、斐太後風土記(明治6年、1873年)、伏方村(現神岡町伏方)の項に次の記述があります。「那賀禮波乃嶽(ナガレハノタケ)は、村の後にある高峰で、山上の東西には広原がある。暁には、旭日の光で山が輝くのでそこを朝日ヶ原という。」 天保12年(1841年)、飛騨郡代豊田藤之進が、ここを通り飛騨山脈の眺望に感嘆しました。そして流葉山を「大長谷朝日ヶ原」と命名し飛騨3景のひとつとしました。
 山上の朝日ヶ原とは、今では知る人もいませんが、スキー場の最上部のなだらかな平坦地に他ありません。ふもとの伏方や山田から見ると、流葉山は西方にあるので、山頂付近は朝日をいち早く受けます。他に、朝日が当たることに関した山には、大野郡荘川村の日照岳や、信州側からの乗鞍岳があります。(乗鞍岳寒陽気山参照)
 なだらかな朝日ヶ原は、高山盆地周囲の山地、飛騨高原を特徴付ける地形です。つまり、飛騨高原の山々の高さをみると、約1,200m前後、約1,500m前後の稜線が比較的広く分布します。これらを、飛騨の隆起準平原または飛騨高原侵食面群といいます。侵食でなだらかになった地形が段階的に隆起したため、深い谷が発達する一方、山上に平坦地が残るという地形ができました。飛騨高原が著しく隆起したのは新生代第四紀(170万年前〜現在)からです。その隆起量は、飛騨高原で約500〜1,500mです。(天蓋山竜ヶ峰参照)
 隆起の原因は、日本列島に太平洋側から東西方向に大きな力が加わったためとされています。(プレートテクトニクス、舟伏山参照) その力のためできた数多くの断層を境に隆起量が異なり、侵食面の高度も飛騨と美濃では違います。飛騨高原の高度は美濃高原より高く、飛騨山脈より低くなっています。(尾城山穂高岳参照)
 流葉山へは、スキー場を歩いて登りました。リフト終点から尾根に沿って山頂三角点まで道があります。帰りは、ふもとの流葉温泉がお勧めです。
【参考】富田礼彦(1873):斐太後風土記(下巻)、雄山閣(復刻版)
貝塚爽平(1986):日本の山、岩波書店
野上道夫ほか(1994):日本の自然中部、岩波書店
袖川村教育舎(1917):袖川村誌、袖川村教育舎
飛騨文化自然誌調査会(2001):飛騨ぶり街道物語、岐阜新聞社

流葉山から見る飛騨高原(左:御嶽山、中央:盆地霧と高山盆地)
【登頂日】2000年11月25日
【標高】1423m
【場所】岐阜県吉城郡神岡町
【記録】10:16 流葉スキー場駐車場下 11:35 第2リフト終点 12:15 山頂着 13:30 山頂発 13:53 第2リフト終点 14:33 流葉スキー場駐車場