昭和に噴火した火山・御嶽山
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 御嶽山は山岳信仰の山です。飛騨側の濁河温泉から御嶽山に登ると、三之池では白装束の行者が呪文を唱えていました。また、山頂に向かって「六根清浄、御山は晴天−−」と詠いながら登る人達がいました。今も残る信仰の山でした。
 御嶽山は、古代には王者の威厳のある山容から、王の嶽と呼ばれ、古くから崇拝されてきました。室町期、王御嶽蔵王権現が祀られ、霊山となりました。近世になって、熊野詣の影響を受けた登拝修業が行われました。天明5年(1785年)に尾張出身の行者・覚明は、慣例を破って、一般信者が自由に登拝できるようにしました。以後、御嶽山は富士山と並んで庶民登拝ができる山となりました。(山の宗教)(拝殿山御前山下呂御前山参照)
 御嶽山はまた、1979年に突然噴火(水蒸気爆発)して世間を驚かせました。御嶽山には、一之池から四之池まで火口湖がありますが、二之池と三之池に水が残っています。そして、山頂近くの二之池は、標高2905m。緑色の水をたたえ、神秘的な火口湖です。御嶽山の二之池や三之池は、噴火口に水が貯まったものですが、乗鞍岳には、氷河や雪渓の溶けた跡に貯まった池もあります。(アースウオッチングイン岐阜)
 なお、湖沼学の定義では、平均水深が5m未満の場合は、湖ではなく池になるようです。この定義によると、御嶽山の二之池は、火口湖と表現しましたが、池になります。
 御嶽山の活動は、御岳信仰よりはるか昔、30万年前に始まりました。今の山体は、約8万年からの活動によります。このときの噴出物は、遠く関東地方にまで達しました。噴火口は、南北方向に位置を変えながら噴出を繰り返し、南北に長い火山体fが出来上がりました。 約5万4千年前には、大量の溶岩流が、益田郡小坂町方向に流れ出して、厳立(がんだて)という大岩壁をつくりました。このころの御岳の活動による泥流は、遠く木曽川沿いに愛知県犬山市付近にまで達しています。(中部・近畿・中国の火山)(乗鞍岳焼岳白山大日ヶ岳参照)
【参考】藤田庄市(2000):山の宗教、平凡社(別冊太陽)
高橋正樹・小林哲夫(2000):中部・近畿・中国の火山、築地書館
岐阜県高等学校地学教育研究会(1995):アースウォッチング・イン・岐阜、岐阜新聞社

最高所の高山湖・二之池
【登頂日】1996年8月3日など
【標高】3063m
【場所】岐阜県益田郡小坂町
【記録】5:55 濁河温泉 6:40 湯の花峠着 6:50 湯の花峠発 7:13 のぞき岩 7:42 お助け水着 7:55 お助け水発 8:50 飛騨頂上着 9:10 飛騨頂上発 9:35 サイノ河原入口 10:03 二ノ池小屋着 10:15 二ノ池小屋発 10:50 山頂着 11:30 山頂発(おはち) 12:20 二ノ池小屋新館 12:40 サイノ河原入口着 13:40 サイノ河原入口発 14:00 飛騨頂上着 14:05 飛騨頂上発 14:50 お助け水 15:10 のぞき岩 15:30 湯の花峠 16:15 濁河温泉