大日ヶ岳と泰澄
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 大日ヶ岳は、飛騨と美濃の境界にあり、白山を開いた越前の僧・泰澄に由来します。泰澄は、白山の登路をさぐるため養老元年(717年)6月朔日、大日ヶ岳山頂に立ちました。そこで一夜を過ごすと霊夢に大日如来が現れました。如来は、「我は白山妙理大権現の本地なり、年を経て汝を待つこと久し−−−」とおっしゃいました。そこで、この山に大日如来を祭ったといいます。(能郷白山参照)
 泰澄は、最終的に飛騨路からの登山を断念し、石徹白(いとしろ)村から別山尾根を登る道を選びました。そして、今の石徹白・白山中居神社を基点とし、斧石、銚子ヶ峰、一の峰、ニの峰、三の峰、別山を経て白山に至る路ができました。これを美濃禅定道といいます。(以上、白鳥町史)(白山毘沙門岳参照)
 大日如来とは、すべての仏さまや菩薩を生み出す宇宙の根本仏です。奈良東大寺の仏さまも大日如来で、真言密教の本尊です。(ニッポン神様図鑑)
 また大日ヶ岳に関して、斐太後風土記には次のようにあります。「越前国と美濃国の境界にあり。白山の末脈なり。毎春雪消の節、消し跡大字をなせり。町屋峠にて見ゆ。ゆえに大字嶽とこれを訛れりとぞ。‐‐‐」これは、この山に大文字の雪形が残ることを言っているようです。
 一方、馬の雪形が残るという伝説もあります。「300年ほども昔の話。高鷲村折立に、弥左衛門という長者が住んでいました。ある夜、かわいがっていたシロという馬が、大日ヶ岳の頂上を目指し空をかけていきました。すると大日ヶ岳は赤い災をあげて噴火しました。翌年の春、大日ヶ岳には白馬の残雪が見えるようになりました。」(わたしたちの岐阜県の伝説)(笠ヶ岳人形山参照)
 他に、大日ヶ岳の頂上近く東南に面したところに雪が消え残り、その形が荒馬の形になると、その年は風水の害があると言い伝えられています。(ぎふの名山名木)
 地質的には大日ヶ岳は古い火山です。歴史時代に噴火はしていません。また、火山体の地形はありますが、噴火口の地形は残っていません。火山体の安山岩の年代測定では、約160万年前に火山活動がありました。(アースウオッチングイン岐阜)(乗鞍岳焼岳御嶽山参照)
 山頂へは、3方向から良く整備された登山道があります。山頂付近はチシマザサの草原です。
【参考】白鳥町教育委員会編(1977):白鳥町史(下巻)、白鳥町
宗教民俗研究所編(1996):ニッポン神様図鑑、はまの出版
富田礼彦(1873):斐太後風土記(下巻)、雄山閣(復刻版)
後藤時夫(1972):わたしたちの岐阜県の伝説、大衆書房
岐阜県林政部自然保護課(1991):ぎふの名山名木、教育出版文化協会
岐阜県高等学校地学教育研究会(1995):アースウオッチングイン岐阜、岐阜新聞社
山頂の標柱と大日如来
【登頂日】2003年9月14日
【標高】1709m
【場所】岐阜県郡上郡高鷲村
【記録】10:05 蛭ヶ野高原登山口(980m) 11:05 一服平着(1366m) 11:15 一服平発 12:15 山頂着 13:15 山頂発 14:05 一服平着 14:15 一服平発 15:00 登山口