拝殿山と御嶽四門
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 高根村史によると拝殿山には、御嶽四門のひとつとして拝殿(鳥居)がありました。御嶽四門とは、御嶽を望む四方の街道筋に修験者が設けた遥拝所です。最初の四門は、鎌倉時代頃できたと推定されています。その頃御嶽が修験道の道場となったからです。その四門を記すと、東は中山道岩郷村神戸、西は飛州境長峯峠、北は中山道藪原村鳥居峠、そして南は美濃信濃境の三浦山です。このうち三浦山は、現在の三国山付近のことで、その西方、飛騨美濃境の尾根上に拝殿山があります。修験道では、東は発心、西は菩提、北は涅槃、南は修行を意味しています。(御嶽山三国山御前山下呂御前山唐塩山参照)
 他の街道筋の三門に比べ、三浦山(拝殿山)のみ、街道をはずれた交通不便な場所です(ぎふ百山)。さらに拝殿山は、現在登山道もなく、ましてや御嶽の登山道とは無関係です。しかし、大正2年(1913年)発行の飛騨案内の地図を見ると、当時の道が描かれており、拝殿山から三国山の尾根筋には道があったことがわかります。
 江戸時代には、御用林管理の目的で拝殿山経由の道があり、御嶽の近くまで行くことが可能でした。つまり、尾張藩士・樋口好古による濃州徇行記の中に、拝殿山からの三浦山登山記があります。(白草山参照)
 三浦山登山は、宝暦6年(1756年)、8月(旧暦)のことでした。付知村の内木彦七を案内として、50人くらいで加子母村から登りました。その初日の記録の中に、「山を少し登ると、御嶽の拝殿という所があり、そこには飛騨との境界を示す杭があった。」とあります。この頃、すでに鳥居はなく地名だけ残っていたのかもしれません。
 拝殿山へは、加子母村・拝殿山西側の深山林道終点から登りました。前回は三角点が見つかりませんでしたが、2度目には見つかりました。しばらくはスギ、ヒノキの植林地を登ります。上部はイブキザサのやぶこぎです。
【参考】高根村史編集委員会(1984):高根村史、高根村
樋口好古(1800頃):濃州徇行記、大衆書房(復刻版)
岐阜県山岳連盟(1975):ぎふ百山、岐阜日日新聞社
飛騨国出品協会(1913):飛騨案内、住 廣造

拝殿山の山頂部から小秀山
【登頂日】2003年8月24日など
【標高】1402m
【場所】岐阜県恵那郡加子母村
【記録】13:50 深山林道終点(1040m) 15:00 山頂着 15:30 山頂発 16:05 林道終点