八尾山の山神様
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 下呂町の八尾山は、馬瀬村との境界山地にある秀峰です。その名は、「ひだの山山」によると」尾根が八方に広がる様からきたと言います(六谷山六方山参照)。三角形のその山容は、下呂町竹原地区等から望めますが、下呂の市街地からは手前の山の後になって見えません。
 その八尾山は、ふもとの幸田(こうでん)地区の信仰を集めてきた山です。幸田では、山頂の山神様に、毎年春の薬師祭りの日に代参してきました。山名は、字の通り、尾根が八方向に広がっていることに因みます。かつては雨乞いのためにも代参しました。山頂に安置してある山神様(石像)の台座には、江戸中期の明和三年(1766年)の文字が読み取れます。(幸田フラッシュ)(雨乞棚山参照)
 また、地元では、八尾山のことを通称「御前様」といい、八尾御前と呼ばれることもありました。茂谷には八尾権現の石柱があります。以上から、近くの下呂御前山と同じく御嶽の御前峰であった可能性もあります。(ぎふ百山)(御前山下呂御前山参照)
 山神とは、山の神のことと思われます。山の神といっても、男性神、女性神、夫婦神さまざまですが、猟師等にとっては女性神でした。(山の神のこと)(猪臥山参照)
 山頂の石像には、宝冠がないので観音像ではありません。女性の山の神でした。山頂への道は、最近、柿坂峠から送電線巡視道を利用することが多くなりました。しかし国道41号線から茂谷を利用して登ることもできます。山に向って谷の左側に道があります。茂谷は小滝の連続する水量の多い谷です。茂谷ルートでは、途中廃屋の左に昭和34年3月建立と刻んである八尾権現の石柱があります。石柱横には、八尾山登山道の標識があるので、ここから左折して登れるようです。登りのときはこの石柱に気づかず小屋の上を登りました。このルートだと尾根直下で道が消えますが、20分程度斜面を登ると尾根の巡視道に合流できます。山頂は、ミヤコザサに覆われています。(川上岳参照)
【参考】幸田区文化部(2000):幸田フラッシュ、幸田区文化部
酒井昭市(1991):飛騨の山山(ヤブ山編)、ナカニシヤ出版
岐阜県山岳連盟(1975):ぎふ百山、岐阜新聞社
高橋喜平(1977):山の神のこと、雪国炉辺譚(早樹社)
山頂山神様からの御嶽山
【登頂日】2003年4月6日など
【標高】1101m
【場所】岐阜県益田郡下呂町
【記録】11:50 茂谷入口発 12:15 284、283鉄塔標識(左の道をまっすぐ登る) 13:35 稜線 13:50 120鉄塔 14:05 山頂着 14:45 山頂発 15:00 120鉄塔 15:10 稜線 15:30 二股 15:35 八尾権現石柱 16:05 284、283鉄塔標識 16:25 茂谷入口着(国道41号線)