猪臥山と猪番
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 猪臥山(いのぶせやま)は、地元では「いぶしやま、いぶせやま」といいます。飛騨北部の中央部にどっしりと鎮座した山です。山名は、宮川の西側にはイノシシが生育していたことと、付近に猪道があったことによります(岐阜県地名大辞典)。山容も、イノシシを連想させるどっしりとした山です。
 飛騨地方では、明治期までイノシシ獣害に悩まされていました。当時の飛騨の山麓は、焼畑が行われておりそれをイノシシに荒らされたからです。たとえば、猪臥山の東側、宇津江村(現国府町宇津江)では、安政年間(1854〜1859)、猪番を厳重に行ったと察せられる帳面が残っています。それは、「安政四巳年八月 猪番夜回人足差引帳」などです。(国府村史)また上宝村の農家の入り口や鴨居にはどこも「シシ突槍」が掛けてあり、谷の迫目に掘った「シシ穴」に落ちた猪をそれで突いたといいます。(ぎふ百山)(火山捨薙山見当山参照)
 猪臥山の西側、小鳥郷(現清見村小鳥)でもかつて猪番を行いました。斐太後風土記にはその様子が詳しく描かれています。要約すると、「このあたりは焼畑の雑穀が多いので、猪を驚かして逃げさせるために、初秋穂の出るころから、山中に小屋を掛けて村中の男女が夜中畑を守る。案山子(かかし)を立てたり、猪笛を吹き、板等を打ち鳴らし、声をあげる。小屋番が熟睡してしまえば、その晩に猪が来て食い荒らしてしまう。−−−」とあります。当時の苦労が偲ばれます。
 そのイノシシは、明治中期以降、飛騨北部にはほとんど現れなくなりました。これは全国的な傾向ですが、雪に弱いイノシシが、寒冷化傾向に伴い飛騨南部までいったん南下したともいわれます。またブタコレラの病気の影響もあったといいます。最近は、イノシシは再び北上を始め国府町付近でも現れるようになりました。地球温暖化の影響でしょうか。(仏ヶ尾山参照)
 猪臥山へは、小鳥峠から山頂付近まで林道が通じています。山頂からは絶景。飛騨一円の山々が見えます。快晴日に林道を歩きいて登ることをお勧めします。山頂手前には山ノ神の祠があります(八尾山参照)。また山頂付近はブナ林で、深雪地帯特有のチシマザサに覆われています。(川上岳西水源山参照)
【参考】富田礼彦(1873):斐太後風土記(上巻)、雄山閣(復刻版)
国府村史編纂委員会(1959):国府村史、国府村役場
岐阜県山岳連盟(1975):ぎふ百山、岐阜日日新聞社
角川日本地名大辞典編纂委員会(1980):岐阜県地名大辞典、角川書店

古川町神原峠より
【登頂日】1998年8月23日など
【標高】1519m
【場所】岐阜県吉城郡古川町(清見村)
【記録】11:30 小鳥峠発 12:35 山頂着 15:35 山頂発 16:15 小鳥峠着