弥陀ヶ洞山と月見里
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 久々野町の弥陀ヶ洞山は、高山方面から宮峠を越えると前面に見える山です。立山の弥陀ヶ原と同じく、、阿弥陀如来にちなむ名ですが、阿弥陀仏の石像等は見当たりませんでした。隣の日ノ観ヶ岳には阿弥陀堂があります。(日ノ観ヶ岳参照)
 阿弥陀如来は、西方十万億土にいる仏様です。南無阿弥陀仏という称号をとなえると極楽往生できるとする浄土教の仏様です。有名な鎌倉の大仏は阿弥陀如来をあらわしています。(ニッポン神さま図鑑)
 弥陀ヶ洞山のふもとの山梨地区は、古来から月見里として有名でした。江戸期の飛騨国中案内では、「山梨村は月見里とも書くなり」とあり、斐太後風土記では、山梨村の項で「棚田の水に月影の映れるを心ある人は賞する。地元では転月(ころがりづき)という。」とあります。山梨には、転月という月見の名所がありました(岐阜県地名大辞典)。
 昭和初期の飛騨風物記によると、「古来より山梨は月見の郷と称して広く世に知られているが、起源はつまびらかならずも、昔高貴の士が宮峠を越えてたそがれに弥陀ヶ洞山を見れば、光々たる満月今まさに山端を離れんとし、籠によりて官道を下るにも、月もまた山端を離れず、あたかも山の端を転がるがごとき奇観をていせるにより、これを転月ととなえて鑑賞し、籠をとどめて眺めたるに、さらに月は山端を出づるに三光を放ちて、葛葉のごとくになれりという。よってこの里を月見の里と名付け、駐籠のところを転月ヶ丘と命名せりと伝う。」とあります。さらに、「毎年仲秋の名月の夜は、里人この丘に集いて、酒をかたむけ弥陀ヶ洞山に出づる月を鑑賞するを恒例とするが、遠く高山よりも杖をひく雅人少なからず。」とあります。昭和初期以降途切れた月見の行事は、昭和55年頃から復活しました(久々野町史第2巻)。
 弥陀ヶ洞山へは、山梨地区中組から登れます。山ぎわの道に自動車を止め、山道を行くと林道を横切ります。林道を左に100mほど行くとまた山道が見つかったのでそこを登りました。途中で道は無くなりますが、ヒノキの植林の中を10分も登れば山頂稜線です。
【参考】上村義満(1746):飛騨国中案内、大衆書房(復刻板)
上島善一(1929):飛騨風物記、飛騨毎日新聞
宗教民俗研究所(1996):ニッポン神さま図鑑、はまの出版
角川日本地名大辞典編纂委員会(1980):岐阜県地名大辞典、角川書店
富田礼彦(1873):斐太後風土記(上巻)、雄山閣(復刻版)
久々野町史編纂委員会(1985):久々野町史第2巻、久々野町
山梨地区からの弥陀ヶ洞山
【登頂日】2003年4月13日
【標高】994m
【場所】岐阜県大野郡久々野町
【記録】14:10 山梨中組 14:15 林道 14:40 山頂着 15:20 山頂発 15:40 林道 15:45 自動車(720m)