飛騨国由来の竜ヶ峰
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 竜ヶ峰は、高山市と郡上八幡をつなぐ「せせらぎ街道」の途中、西ウレ峠の近くにあります。せせらぎ街道は、八幡街道(郡上街道)といいました。江戸時代の八幡街道(郡上街道)は竜ヶ峰(かつては龍ヶ峰と記した)を通っていて、雪中救助小屋がありました。山頂部は広大な隆起準平原で抜群の展望です。(流葉山傘山火山参照)
 竜ヶ峰にある「竜馬石」は、昔から不思議な石とされ、一説には「飛騨の国」の由来の石といわれます。江戸時代の「飛州志」は、「龍石」と称して、「大野郡楢谷村龍ヶ峰にあり、石面に鱗のごとき紋あり。」と記しています。
 清見村誌によると、神代の頃、高天原の祖神様(おやがみさま)は、竜よりも速く空を飛ぶ「龍馬」という駒を、川上岳(かおれだけ)と白山の女神にお使いとして遣わしました。龍馬は、川上岳の女神にお使いをし白山に向かっていると、眼下に大好物の山笹の大草原を発見。舞い降りて腹いっぱいになると眠りこけてしまいました。祖神様は、そのまま眠らせてやろうと考え、龍馬を石にしてしまいました。(位山参照)
 また別に、大原風土記によると、昔越前から飛んできた馬の子が名馬になりました。そこで里人は、その馬を近江の国の滋賀の都に献上しました。ところが馬は、故郷を懐かしみこの地に戻ってきたので、龍ヶ峰と称しました。龍馬石には、馬の歯の跡のような斑紋があり、龍馬石付近のササを産馬に食わせるとお産が軽いといいます。
 竜ヶ峰は今、飛騨共同模範牧場になっています。せせらぎ街道の林道入り口に車を止めて歩きました。竜馬石は、地図とは違い林道の北側にあります(入り口標識あり)。牧場の中の道をたどって1172m標高点まで散策しました。放牧期間は標高点まで行けないかもしれません。飛騨山脈の絶景が眺められます。ちなみに、竜馬の食べた笹はミヤマクマザサでした。(川上岳白草山参照) 竜馬石は、竜ヶ峰火山による安山岩(年代は不明、数百万年前)です。
【参考】長谷川忠崇(1745):飛州志、岐阜新聞社(復刻版)
清見村誌編集委員会(1976):清見村誌下巻、清見村誌編集室
大江 浩(1934):大原風土記、大原尋常高等小学校
下畑五夫(1997):新ひだ風土記、岐阜新聞社
岡村利平(1911):飛騨山川、大衆書房(復刻版)

竜馬石
【登頂日】2002年4月28日
【標高】1172m
【場所】岐阜県大野郡清見村
【記録】13:10 林道入り口 13:50 竜馬石着 14:20 竜馬石発 15:05 山頂着(1172m地点) 15:20 山頂発 16:30 林道入り口