巣鷹山だった三界山
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 江戸時代、三界山(さんがいさん、さんかいやま)の登山口、川上村(かわうえむら)を含め、付知村(現付知町)、加子母村は三ヶ村といいました。三ヶ村は、木曽五木の良材を産し、森林地帯は尾張藩の御料林として厳重に保護されてきました。また馬(駒)を産し、鷹のひなを尾張徳川家に献上しました。(井出の小路山参照
 新撰美濃志(萬延元年、1860年)によると、川上村の巣鷹山(ワシが巣をつくる山)として、「巣乗山、長坂山、篠根山、大根山」の名をあげています。このうち、巣乗山は、御賢場(山)の南にある巣乗谷の源流付近だと思います。他の巣鷹山がどの山を指しているのか今では判然としません。しかしこれらの山は、「村の地うち」にあるとの記述から、三界山をはじめ集落のまわりにある村界の山々だと推測します。
 ここでいうタカは、ワシタカ科のうち、ワシを除いた小型と中型の鳥のことです。鷹狩に利用されるのは、オオタカ、ハイタカ、クマタカ、ハヤブサなどでした。メスのほうが一般に狩が上手なのでメスを利用しました。また巣鷹とは、まだ巣にいるタカの幼鳥のことです。幼鳥の肩から背に黒い羽毛がまばらに生えたころ、巣から取り出して鷹狩に使えるように餌付けをしました。タカは彼岸のころに巣をかけます。巣守りは、山まわりをしてタカの様子を観察しました。巣から幼鳥を取り出す時期が早すぎるとタカは技を覚えず、遅すぎると人になつかなかったといいます。
 天明〜寛政年間(1781年〜1800年)ころは、すでに川上村近辺でタカの巣を見つけることが難しく、尾張藩からの触留が全部加子母村送りになりました。
 三界山へは、夕森林道を登山口まで自動車で行きました。道標はたくさんあり迷う心配はありません。ただ、木の橋が朽ちていて危ない所もありました。山頂からは、樹間ごしに白銀をいただいた中央アルプスや奥三界山が見えました。ロボット気象観測所の恵那側は刈り払いがしてあり恵那山が見えました。いったん切れていた雲がまた出てきたので急いで降りました。
【参考】岡田 啓(1860):新撰美濃志、大衆書房(復刻版)
川上村史編集委員会(1983):川上村史、川上村 

三界山の山頂
【登頂日】1998年12月6日
【標高】1600m
【場所】岐阜県恵那郡川上村
【記録】9:55 登山口(岩倉谷 標高860m) 10:20 小屋(1020m) 11:45 山頂着 12:50 山頂発 13:40 小屋 13:55 登山口