伊吹山の天狗と三修禅師
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 伊吹山は、セメントの材料となる石灰岩の山です。石灰岩は、サンゴ礁など海の生物(サンゴ、フズリナ、ウミユリ)の石灰分が堆積した岩石です。石灰岩の下部に、海底火山の溶岩である玄武岩があることから、かつての海底火山の上にサンゴ礁が発達したことがわかります。石灰岩の化石の年代は、古生代ペルム紀(2億9千万年前〜2億4千5百万年)を示します(舟伏山魚金山冠山参照)。
 薬草の山としての伊吹山は、織田信長が南蛮人に命じて薬園をつくったことに始まります。伊吹山はまた伝説や信仰の山でした。日本書記によれば、大和武尊が荒神(大蛇)と戦い命を失ったのは伊吹山でした。仁寿年間(851〜853年)に、三修が建立した護国寺には多くの修験者が集まりました。江戸時代の寛永(1624〜1643年)頃まで多くの伽藍があったといいます。今昔物語の中に、三修が天狗にだまされた話があります。
 ある夜、伊吹山の護国寺で三修禅師が念仏を唱えていると、「念仏の数も積もったので、明日は迎えに行くぞ。」という声が聞こえてきました。翌日、約束の時間になると、紫雲に乗った仏が現れ、禅師を雲につつむと去っていきました。それから、7日後、寺の僧が風呂用のマキを刈りに奥山に出かけると、杉の梢で叫んでいる人がいました。僧がよく見ると、裸の禅師が縛り付けられていました。木登りのうまい法師が助けますが、禅師は3日ほどで狂死したといいます。天狗にだまされたというわけです。岐阜県には他に多くの天狗伝説があります。(天ヶ岩大洞山高天良山舟伏山阿寺天狗岳参照)
 伊吹山へは滋賀県側から歩いて登りました。山頂からは、琵琶湖の湖岸線や霞の上の御岳を見ることができました。
【参考】吉岡 勲(1955):岐阜県の伝説、大衆書房
岐阜地理学会・岐阜県高等学校地理教育研究会(1978):岐阜県地理地名事典、地人書房
深田久弥(1964):日本百名山、新潮社
岐阜県高等学校地学教育研究会(1995):アース・ウォッチング・イン・岐阜、岐阜新聞社


秋の伊吹山
【登頂日】1997年10月19日
【標高】1377m
【場所】滋賀県坂田郡伊吹町(岐阜県揖斐郡春日村)
【記録】9:05 上野登山口 220m 9:25 1合目スキー場着 390m 9:35 1合目スキー場発 10:05 3合目 700m 10:15 伊吹山ゴンドラ駅 760m 10:38 5合目 890m 10:52 6合目 1000m 11:08 7合目着 1100m 11:20 7合目発 11:35 8合目 1220m 11:50 9合目 12:00 山頂着 1370m 13:00 山頂発 13:10 9合目 13:45 5合目 14:00 3合目 14:15 1合目スキー場着 14:20 1合目スキー場発 14:35 上野登山口