深海底の岩石・冠山
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 源平の頃、冠山のふもとには次のような伝説があります。源氏の軍勢は徳山谷から攻めあがり、平家方は温見(ぬくみ)谷に陣をとりました。決戦前夜、平家方が物見の兵を出すと、狂小屋(地名)あたりが一面の火が見えました。物見は、源氏があのあたりなら急ぐ必要もないと判断しました。平家は山稜まであがらないで途中で野宿しました。ところが源氏方の火ははかりごとでした。源氏はここに陣ありと見せて、夜のうちに冠山の頂上まで上がってしましました。そして平家方は大敗北をしたといいます。(奥美濃ヤブ山登山のすすめ)
 5万分の1「冠山」を見ると、福井県側には、源平谷山、平家平の地名があります。付近は、平家落人伝承の地でもあります。
 冠平から足場の悪い湿地のある登山道を行くと、冠平でした。そこからチャートの岩塔を登ると山頂でした。烏帽子のような特異な山体の冠山は、奥美濃の山としては珍しく岐阜県側に険しい急崖をつくっています。その理由は、山体がチャートという侵食されにくいガラス質の岩石からできているためです。冠山付近のチャートは、数cm幅で層状に積み重なり、黒色から濃緑色の表面をしています。その年代は、中生代三畳紀〜ジュラ紀(2億4千5百万年〜1億4千6百万年)です。冠山と比較して、泥岩や砂岩からなる周囲の山が、なだらかになっているのが対照的です。(岐阜県揖斐郡ふるさとの自然、わたしたちの自然)
 チャートは、ケイ酸の殻を持つ放散虫やケイ藻の遺骸が堆積した岩石です。チャートの生物化石は微化石です。特殊な処理をして電子顕微鏡を用いないと見えません。もともと、チャートは数千メートルの深さの深海底に堆積したものです。地球表面(プレート)の移動に伴い、海底のチャートも移動しました。中生代ジュラ紀(2億8百万年〜1億4千6百万年)頃、大陸まで来たチャートは大陸起源の砂岩や泥岩と付着しました(その頃、まだ日本列島はありません)。(日本列島の生い立ちを読む)
 冠山のチャートは、美濃帯という岩石のグループのひとつです。美濃帯は、南方からのプレートの動きに関係した地質構造と考えられています。(アースウオッチングイン岐阜)(舟伏山伊吹山魚金山参照)
【参考】高木泰夫(1987):奥美濃ヤブ山登山のすすめ、ナカニシヤ出版
岐阜県高等学校地学教育研究会(1995):アース・ウォッチング・イン・岐阜、岐阜新聞社
水野瑞夫(1982):わたしたちの自然、岐阜県
斎藤靖二(1992):日本列島の生い立ちを読む、岩波書店
片岡信岳ほか(1993):岐阜県揖斐郡ふるさとの自然、揖斐郡教育会


冠山峠より
【登頂日】1991年9月21日
【標高】1256m
【場所】岐阜県揖斐郡藤橋村
【記録】冠山峠 冠平 山頂 冠山峠