麻薬常習者・幽界・暗黒界など

麻薬常習者

 

麻薬中毒の恐ろしさは、冷酷非情であり、死んでからも麻薬を欲しいばかりにその勢いを持続する。その欲求は、魂の奥深く植え付けられているので、それが満たされない地縛霊の苦悶は、言語に絶するものがあるらしい。
その霊は、その欲求を霊感の強い人間や波長の合う人間に憑依することによって、その欲求を満たそうとするので、憑依された人間は、麻薬常習者になってしまう。麻薬中毒で死んだ人は、自殺した人よりあの世では苦しみの連続のようだ。
魂が火で焼かれるような苦しみ。
地上時代は、自分では麻薬なんか欲しくないのに、何かしら麻薬中毒で死んだ霊と波長が合ってしまい、その邪霊が強い力で麻薬をやるようにそそのかす。
死後の世界がどんなところかを知れば、麻薬には手を出せないだろう。
人間は死んでも、地上時代の願望や欲求をそのまま持っていく。それは、魂に所属したものであって、肉体にあるのではない。

 

金銭欲、利己心、うぬぼれなどが災いしていると

 

利己心=自分本位、わがまま
金銭欲、利己心、うぬぼれ、虚栄心、野心などの考え方を持っていた人間は、そうした低級な意識から脱して人のために自分を犠牲にする行為を通して、愛と同情心に目覚めるまでは、他界後もずっと幽界にとどまっているケースが少なくない。

 

死後にも生命があることを知らずに死んだ人は、暗闇の中で過ごすことになる。
無知が生む暗黒である。
暗闇に居て、地球上で生きてたときの無知や利己心などの反省と改心の余地がある霊は、自分の守護霊を含む高級霊が意図的に改心を促すことがある。
真理(真実)はいつか必ずわかる。それが地球上で生きているときなのか、霊界へ行ってからなのか。この地球上で生きているときに知ることが最良である。
人間は最も愛する身近な人の他界と言ったような深い深い悲しみの体験をしないことには、真理が悟れないようだ。
現代生活はとてもせわしなくなっている。1秒たりとも精神が休まるときがない。そのことが人々の神経系統を疲れさせ、自分を見失わせ、しまいには、地縛霊につけ入るスキを与えてしまう。毎日仕事のことで悩み、心配し、時には対人関係が思うようにいかず、喧嘩をしたり、実体のない取越し苦労をしたりと、不安、悩み、心配、悲しみの中での生活を過ごしている。
そんな悩み、不安、取越し苦労が一番いけない。
精神が落ち込めば、その波長が地縛霊の波長と合ってしまい、憑依され、自分の人格が変わってしまうようなことになりかねない。憑依されないにしても、肉体的、精神的な病気になってしまう。これを克服する力は、宇宙の真理を知ることである。人間はこの世に生まれてきたのは、肉体が亡くなった後の事を知っておくため、そして他人には愛と奉仕をすることである。
人間に死はないのである。いつも笑顔で今日一日を精一杯過ごすことである。
自らの自覚によって日常生活を明るく陽気なものにし、落ち込んだり、心配、動揺したりしてはいけない。腹を立てたり悲しんだりしてもいけない。そういう感情は、霊界の低界層につながる。低界層と波長が合うと地縛霊が寄ってくる。

 

幼子

 

地上生活を体験せずに他界した子は、霊界の教師や指導者によって、実物教育による体験を積んで成長するようだ。地上と違って、様々な教育施設があって、そこに通って勉強する。素晴らしい成長をするようだ。

 

幽界での集団

 

この世を去った後、地上的波動から抜け切れずにいる霊が、地獄さながらの悲惨な境涯の中で、無益な生活を続けている。同じ考え方、性格の人が集団を作っている。
金の亡者の集団、世を恨んだり人に仕返しをしたい集団、男女の交わりから抜けきれない集団などなど。
こういう集団は、その目的だけのために心を閉ざしているので、なかなか霊界への道を歩もうとしない。霊界の指導霊や高級霊は、何とかして上の界へ行かせてやりたいと音楽を聞かせたり、上層界の素晴らしい絵を見せたりといろいろな手段を使う。

 

憑依する霊、憑依される人間

 

憑依する霊の多くは、地縛霊である。憑依される人間は、霊感のある人、神経が衰弱した人などで、肉体の不調も招きやすい。生命力が低下すると抵抗力が弱まり、霊の侵入が容易になる。その際、憑依される人間も憑依する霊も、互いに相手の存在を意識していないらしい。
利己的で邪悪な性向から、その欲望のはけ口を見つけようと、適当な人間を探し回る霊もいる。
そういう霊は、生前の性癖や欲望を満たすための肉体はすでにない。そこで多くの霊は、人間から放射されているオーラに引きつられ、そのオーラにとりついて、それを欲望を満たすための手段とする。
人間に憑依した霊は、自分の想念を押し付け、自分の感情を移入させ、その人間の意志力を弱めさせ、しばしばその行動まで支配し、大きな問題や精神的混乱や苦痛を生じさせる。
世の中の不可解な出来事や不幸の原因は、これら地縛霊の影響があることもある。
憑依した霊は、その人間の性格を変え、人格が変わったようになり、多重人格症、人格分裂症、軽い精神異常からヒステリー、てんかん、優うつ症、病的盗癖、自痴的行為、狂信、自殺、記憶喪失、神経衰弱、大酒飲み、不道徳行為、獣的行為、狂暴などの犯罪行為をおこさせる。

 

迷える霊との対話----C.Aウィックランド著    近藤千雄 訳
ウィリアム・イェイッ霊が1920年10月27日の招霊会で話したこと。

 

地上の人間にとって生命とは何かということは大変な問題です。そのことを勉強し、物質に宿っての存在について学んでくださるとありがたいのですが・・・
肉体を離れてこちらに来るスピリットの多くが、無知の暗黒の中へと入ってしまうのは残念なことです。信仰心しか持たないからそういうことになるのです。神を賛美し歌い、そして祈る事ばかりしています。近づこうにも近づけません。地球を取り巻くように存在する物的波動のエーテルの界層は、”地縛霊”と呼ばれるスピリットの住む暗黒の世界です。利己主義と無知が生み出す暗黒です。そこから抜け出すには、霊的理解力(悟り)が芽生えて、霊的視力が使えるようにならなければならないのですが、そのためにはまず、生命の実相について知り、自分の幸せだけを求める信仰を捨てなければなりません。
その種のスピリットは、地上時代に人のために汗や涙を流すことがなかった者たちです。”人のため”ということがどういうことであるかを知らないまま、自分のためにだけ生きてきました。自分以外の人の事を考えるまで霊性が発達していないのです。
その暗黒界の様相は、実際に見ていただくほかはありません。私は二人の親戚の者に案内してもらったのですが、自殺者ばかりが集まっている境涯、狂信者が通う教会ばかりが立ち並ぶ境涯、スラム街、拝金主義者ばかりの街などなど、それは凄絶を極めております、しかし、その事実自体も問題ですが、もっと問題なのは、そうした境涯のスピリットが出す波動が、地上の類似した人間の波動と合致して、生活を破綻に追いやっている現実です。
このように地球のすぐ周りに、無知の世界が存在し、死後そこで目を覚ます者が多いのです。どんなに善人であっても、どんなにまじめな人生を送っていても、ただこれだけでは十分ではありません。死後の世界についての知識がないと、目覚めた後はしばらくは暗闇の中に居ます。そのあと、いつ霊的覚醒が訪れるかは、その人が地上で培った霊性の程度(霊格)いかんによります。
不思議なのは、地上生活において他人のために役立つことをしたその行為によって、死後に落ち着く家と環境が気付かれているということです。
当然、清らかな人生を送った人には、清らかな環境が待ち受けておりますが、先ほど申した通り、霊的摂理の知識が欠けていると、すぐそこへ行きつくことが出来ずに、いわば、道に迷ってしまうことがあるのです。
面白いことに、自分の事しか考えない人生を送った人の霊界での家は、自分一人がやっと入れるような、小さな、ケチ臭い形をしております。連れ添う人も見当たらず、自分一人の侘しい環境の中に自分を見だすことになるわけです。
そうした侘しさに耐えきれなくなって、神に救いを求めるようになった時こそ、向上のチャンス到来です。まず地上時代の利己的な生き方は、生み出した結果を見せつけられ、良心の呵責を覚え始めます。自分が害を及ぼした相手がまだ地上にいる場合は、その人の背後霊の一人として、その償いが済むまで援助してやらねばなりません。すでに他界している場合は、そのスピリットを探し求めて、何らかの形で償いをしなくてはなりません。
そうした段階を経てようやく、もう一段上の界層へと向上していくことになります。
信仰と言うものは、何の役にも立ちません。大切なのは行為です。地上にいる間に霊的存在としてなすべきことを実行し、そして神が創造なされたこの森羅万象の不思議さに目覚めなくてはいけません。
存在のすべてが神なのです。

 

暗黒界の探訪
  霊界通信 ベールの彼方の生活B 「天界の政庁篇」
       G・Vオーエン著  近藤千雄 訳
 204ページ〜

 

第10界にいる15名の霊団が暗黒界を訪れた。その中から抜粋して記載します。

 

我々はいよいよ暗さを増す境涯へと足を踏み入れた。すると強靭な精神力と用心深い足取りを要する一種異様な魂の圧迫感が、急速に増していくのを感じた。
そのささやかな光の土地に立って深い谷底へ眼をやると、一体を覆う暗闇の濃さはものすごく、我々の視力では見通すことが出来なかった。その不気味な黒い霧の上を薄ぼんやりとして光が射しているが、暗闇を突き通すことはできない。それほど濃厚なのです。---------------------------
「諸君いよいよ陰湿な土地にやってまいりました。これからはあまり楽しい気分にはさせてくれませんが、我々の進むべき道はこの先であり、せいぜい足をしっかりと踏みしめられたい。」すると一人が言った。「憎しみと絶望の冷気が、谷底から伝わってくるのが感じられます。あの苦悶の海の中ではロクな仕事は出来そうにもありませんが、たとえわずかでも一刻の猶予も許せません。その間も彼らは苦しんでいるのですから・・・」--------------
樹木もあることはある。中には大きなものもあるが、その大半に葉が見られない。葉があっても形に愛らしさがない。すすけた緑色と黄色ばかりで、あたかもその周辺に住む者の敵意を象徴するかのように、ヤリのようなギザギザが付いている。いくつか小川を渡ったが、石ころだらけで水が少なく、その水もヘドロだらけで悪臭を放っていた。そうこうしているうちに、ようやく目指す集落が見えてきた。--------------
たいていの人間は、悪人は神の御国の範囲の外にいるもの、罪悪や災害は、神のエネルギーが誤って顕現したものと考えます。しかし実は両者とも神の御手の中にあり、悪人さえも、本人はそうとも知らずとも、究極においては、それなりの計画と目的を成就させられているのです。

 

5地獄の底 242ページ〜
 ここからは本の内容は記載しません。それはそれは恐ろしい光景が書かれてあります。地獄はないのですが、人間の想念がそう思うだけです。しかし、この世でいわれているような恐ろしい世界のようです。読んで見てください。
機会があれば、ここに記載しようと思っています。

 

トップへ戻る