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		<title>光の中へ｜霊界</title>
		<link>http://www.hidatakayama.ne.jp/hikarinonakae/</link>
		<description>２０１８年に次女が亡くなり悲しみ・辛さの無念の中、なぜ、何故亡くなったのか？
１年の間に４０冊ほどの本を無我夢中に読んだ。
ほとんどが、スピリチュアルな本であり、この世、あの世の真理を少しながら理解してきた。
今まで知らなかったことばかりであり、生きること、死んでからの事、何故生きるのかなどなど誰もが知っていなければならないことばかりであった。
少しは次女が亡くなったことが分かりかけてきたが、まだまだ納得がいかないことばかり。
たくさんの方にこの世の事、あの世の事、生きる意義、宇宙の真理を知ってもらいたくここにホームページを作りました。</description>
		<language>ja</language>
		<pubDate>Sat, 25 Jan 2020 07:49:46 +0900</pubDate>
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			<title>自殺後はどうなる</title>
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			<description><![CDATA[
自殺後はどうなるこの地球上で人間が死ぬ、死んだということは、もうこの世にはいなくなってしまったということである。家族や愛する人、友人、知人は悲しみに打ちひしがれるだろう。しかし、死んだ本人は、実は生きているのである。この世、地球にはいないだけである。肉体は失ってしまったが、死んだ人の霊(魂)はずっとずっと何千年いや終わりがなく生き続けるのである。この世で生きていた時の性格や考え方などはすべてそのまま持ち続け、肉体の無い霊として霊界で生活していくのである。この世からは霊界は見えない。我々は死んだ人を見ることはできない。しかし、死んだ人からは我々が見えているのである。あなたのすぐそばに来て話しかけているけれど、あなたには何もわからない。人間は必ず肉体の死を迎える。死んでから霊界へ行ったとき、この世で生きているうちに死んでも(肉体が無くなっても)ずっと生き続けていくということを知っていたか知っていなかったかで、霊界での生活の最初の一歩がまるっきり違うものになる。知っていた人は、ある程度すんなりと霊界へ入っていけるが、人間は死んだらおしまいだ、何もかも無くなってしまうと思っていた人は、暗く寂しいところで自分の意識を持ちながら、自分が死んだことがわからず、右往左往して自分が死んだということがわかるまで不安の中で悩み、苦しみ続ける。自殺した人はあの世へ行っても寿命で死んだ人とは全く違ったあの世の生活となる。脅すようで申し訳ないが、自殺した人はあの世で苦しみの連続となる。何故だ、何故だ、こんなバカな・・・私は死んだはずなのに、なんでこうして生きているのだ??肉体はないけれど、霊(魂)はあるので、生前の性格、考え方はそのままなので自殺した人は死んだことに気づかない。あれだけ悩んで苦しんで自殺したのに何故生きているんだ??いつまでも自問する。寿命が来る前に自ら命を落としたことについて自分自身が納得するまで自問し続ける。自殺した人は、地縛霊や邪霊となる。地縛霊とは、ちゃんとした霊界へ行けず、地上に近い部分にとどまり(幽界ともいう)地上の人間に憑依する。地上の人間に憑依するのは、死んだ人と地上の人間と考え方などが同じで波長が合う人に憑依する。死んだはずなのに死んでいないと思っているから、何度も自殺しようとする。その何度も自殺するときに、地上の人間に憑依してその思いをかなえようとする。「おっ、あいつ今自殺を考えているな、あいつと一緒に俺も死のう」何度そうやっても何故生きているんだということになる。電車へ飛び込んで自殺した人は、地上へ来て電車に飛び込む。それでも「あれっ、何故生きているんだ」となる。やっかいなのは、人間に憑依してその人を苦しめることである。憑依してその人の意識を操り、憑依された人は発狂したり異常行動をしたりと時には精神病院へ行くことになる。自分が死んだということがわかるまでに、こういう期間が何十年、何百年となる例もあるようだ。しかし、どんな自殺霊や悪霊でも必ずどこかで霊界の高級霊や人を助けたいと思っている霊が救い上げて明るい霊界へ連れて行ってくれる。そのときは、自分が寿命を待たずに自ら死んだという間違いを理解し、悔い改めた時に助けられる。自ら命を絶つということは、法則を破る事であり重い罪が課せられる。その他に、意図的に人間に害を及ぼしている霊もいる。人間に憎しみを抱き、暗示をかけたり、憑依したりして、殺人や自殺をそそのかす。そんな場合は、殺人者は無意識だから、罪悪を犯した記憶がないことになる。なのに裁判官は、そういうことを知らないがために、殺人罪を適用する。この世に生きている間には、いろいろな悩みや苦しみがあり、それから逃れることはできない。逃れるということは自ら命を絶つということである。人生には、悩み、苦しみ、不安などが多くあるが、それはこの世での試練なのである。人には、抱えきれないほどの悩みは与えられていないし、解決できないほどの悩み、苦しみの重荷は与えられていない。これは誰一人として違うことはない、すべての人がそのようになっている。この世は、肉体を失って霊界へ行ったときの学習の場なのである。霊界とは、とっても素晴らしいところであり、この世にない色彩、音楽、芸術があり素敵な景色もあり退屈するところではないらしい。とってもいいところだからと言って、寿命を全うせずに自ら死んではいけない。霊界へ行ったときのためにこの世で学習し、肉体が亡くなった後のことを十分理解することである。この世の学習の一番大事なことは、自分より他人のためにということである。他人のために見返りを求めない奉仕と愛をささげることである。霊に憑依されるのではないかと不安が生じた場合は、”自分は自分の身体の主なのだ””ほかの何者にも入らせないぞ”と自分に言い聞かせる。それと同時に、心に邪心や悪感情を宿させないようにする。
			]]></description>
			<pubDate>Tue, 17 Dec 2019 06:53:03 +0900</pubDate>
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		</item>
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			<title>由加里との交霊</title>
			<link>http://www.hidatakayama.ne.jp/hikarinonakae/entry7.html</link>
			<description><![CDATA[
由加里との交霊2018年9月26日には初めて交霊をしていただいた。そのときは、ある人を介しての交霊だったので私は直接その霊媒者とは話をしていない。後日にその交霊の内容をお聞きした。「優悟君が言った。僕はお母さんと約束してきたんだ。生まれる前に約束してきたからわかってる。少し寂しい時もあるかもしれないけれど、お母さんと約束してきたから大丈夫なんだ。」じーちゃん、ばーちゃんと散歩しているのが見える。すごくしっかりしている。(優悟君のことを言っている)前からいろいろな事があって・・・ こうなる事は決まっていた。ごめんなさい、ありがとう。本当にごめん、優悟の事頼む、お願い。(由加里の言ったこと)黄色いお花の中で赤ちゃんを抱っこしていた。泣いていない、笑顔です。(霊能者が見たことを言っている)その後、S.Kさんから連絡があり、交霊をしていただける人が見つかったと連絡があった。早速、手続していただき、私とその霊媒者と連絡を取った。2019年7月31日(水)この日に由加里の大まかな状況がわかった。由加里に近づいてくるようにとうながしてもこちらへ来ない。本当に私はここに出てきていいのかということを言っている。はにかんでいるようだ。その中で、死んだのは病院のせいではないと言っている。なんらかの偶然が重なってこうなってしまったんだろうと。なんでこうなったんだろう、悔やんでいると。自分の中で整理がついていないようだ。優悟がタンポポを摘んでいたり道端で寄り道したりアリを見つめたりとかしている姿を見ていた。----注::これは実際そうだった。優悟を見守ってくれていたのだろうか。会えてうれしいけれど本当に申し訳ないと言っている。優悟と一緒に居られなくて淋しいと。亡くなったことはわかっているようだったが、どこに行ったらいいかわからないと。優悟に対して、人の気持ちを大事にして育って欲しい、感謝の気持ちを大事にして育ってほしい、心からそう願いますと言っていた。こちらから、温かい言葉をかけてやったら迷いが吹っ切れたようだと言っていた。すると、由加里が観音様のような笑顔になって由加里の魂の周りが明るくなってきて、今の場所から移動するようだと。今まで暗いところに居て辛い気持ちと心配な気持ちがあって周りが見えていなかったと。私は、今まで由加里の事を真剣に見ていたのだろうか。いろいろ愚痴も言ったりしたが、由加里の人格を真剣に思って由加里のために何かしていただろうか。由加里が亡くなってから1年半も済んでいるのに毎日後悔の念が湧いてくる。この悲しみの思いをしていたら由加里にこの悲しみが届いてしまうので、毎日を楽しく明るく過ごしたいと思うけれど、今一緒に居られないという現実にもどかしさを感じ涙が出てくる。こんなことではいけない、由加里はきっと明るいところでみんなと楽しく暮らしているはずと思い、私も明るく楽しく過ごそうとしている。今(2019年)から10年ほど前に私の母親が亡くなった時には、こんな思いはあまりなかった。悲しみやいろいろと後悔したけれど、亡くなった年齢が83才だったので、仕方がないとあきらめはついた。親より子どもが先に亡くなるというのは、言葉では表せない心の辛さがある。外出先で、由加里と同じような年ごろの娘さんが、小さい子どもと楽しく連れ添っている光景を見ると辛いものがある。いつまでも由加里の面影を追っている自分がいる。
			]]></description>
			<pubDate>Mon, 9 Dec 2019 13:19:19 +0900</pubDate>
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			<title>神々の涙　カルマと輪廻転生の摂理</title>
			<link>http://www.hidatakayama.ne.jp/hikarinonakae/entry6.html</link>
			<description><![CDATA[
神々の涙　カルマと輪廻転生の摂理　　神からのギフト出版会　黒木昭征著抜粋なので詳細は本を読んでください。人生のいろいろな出来事はすべてにそれなりの訳があり、決して偶然の結果ではなく必然の結果なのです。いわゆる「原因と結果の法則」が厳然として働いているのであり、原因なしではいかなる結果も生じません。自分が創った原因があるから、目の前に結果が顕れたのです。P14ここで「神」という言葉を解釈しておきます。15ページに、ちなみに、「神」とは、絶対神、宇宙神、創造主、大霊、大愛などとも呼ばれますが、別名「法則」と称されることもあるのです。間違っても、宗教などで言うところの「人格神」ではありません。キリスト教で教えるような、宇宙の中心の玉座に座り、その傍らに神の子イエスを従えている----そんな「神」は子供の絵本の中のお話です。P15その法則の中でも、私たちの地上生活に大きく関わるものとしては、次の4つが挙げられます。　・輪廻転生の摂理　・波動の法則　・陰陽の法則まず「カルマの法則」とは、因果律とも呼ばれる法則です。簡単に申しますと、イエスが説いたように「あなたが蒔いた種がいつか芽生えて実り、その穂をあなたが刈り取る」という因果律です。そして私たちは、この地上界と霊界とを行ったり来たりしながら、それぞれの魂を成長させています。つまり、生まれ変わりながら人間界の卒業を目指しているのです。その「輪廻転生の摂理」も、人生にとって大きな影響力を持っています。その他にも、「波動の法則」別名「調和の法則」があります。これはわかりやすく言いますと「類は友を呼ぶ」ということです。これもまた人間関係などに大きく影響を与えることになります。P15、16「カルマの法則」とは、あらゆる人間の行為を支配している因果律、即ち「原因と結果の法則」の作用反作用を表していて、別名「償いの法則」とも言われています。しかも、その原因については「身口意の三業」(しんくういのさんごう)と言われるように、身体での行為に限らず、口で行う業、意(心)が為す過ちまでも斟酌されていきます。身体で他人を傷つける、あるいは口で人を罵ったり、侮辱したりするのが業になるというのなら理解もできるのですが、でも他人様に悪意を持ったり、体の不自由な人にさげすみの目を向けるだけでも業(カルマ)になるというのですから、これはもう大変ですよ。P18皆さんは、思念・想念なんて、ただその時に心に浮かんだだけのことで、その後はただ風のように消え去ってしまうものだと思っていることでしょうが、イエ、そんなことはありません。想念もいわゆる一つのエネルギーであり、幽界でも霊界でも、その想念に相応しい知的生命体を創り出しているのです。-------このように、悪しき想念体は、特に幽界の下層辺りに多く存在し、好ましくない影響力を、幽界や、ときに地上の私たちの世界でも発揮しているものです。世間でよく言われる”生霊”(いきりょう)というのも、この類になります。P18「あなたが蒔いたものをあなたが刈り取る----それがカルマの法則です」他人に対して苦しみを蒔くならば、それは自分自身の裡に苦しみを蒔いていることになるのです。P31私たちがこの地上生活を終えて霊界に帰った時、まず落ち着く境涯はどこになるのでしょうか?その後、私も真理を深く学んだ今では別な解釈をしています。それは私たちが亡くなるときに到達していた霊性と同等の霊界へ還るということです。P32カルマの執行停止あるいは猶予については、シルバーバーチの次の言葉が思い出されます。“神はあなたの肩に背負いきれないほどの荷は載せない。もしも今、まだその荷を背負うのが無理だとしたら、あなたの魂が背負えるようになるまでそのカルマの執行の時は延ばされる”　P36親子のカルマ霊的に観れば、親はその子供を所有しているのではありません。創造したわけでもありません。ただ単に子供を地上に呼ぶために遺伝子を貸したにすぎません。両親とは、霊魂が肉体に宿るための水路なのです。また、たいていの場合、両親のどちらかと子供の間には前世からの絆があります。時には、その家庭的事情がその子の心理的な要求にかなった環境を提供しています。また、リーディングでは、生まれてくる子供は両親を選ぶ自由があることを示唆しています。しかし、この選択の自由は、時として幼児死に至る場合があります。生まれてくる霊魂は、これからの自分が置かれる環境や出来事などをある程度予見して両親を選択するものですが、しかし両親にも自由意志がありますから、時には期待外れの場合があります。そうした場合には、子供の霊魂は自分の目的が達成されないことを悟って地上から退去してしまうのです。P89リーディングでは、妊娠の瞬間と霊魂が入る瞬間が一致しないと何回も断言しています。霊魂が肉体に宿るのは誕生の少し前か、誕生後少し経ってからか、誕生と同時かであるといいます。また、ある場合には、入ってくる霊魂が最後の瞬間に代わることもあるというのです。それだけに、妊娠中の心の持ち方が呼び寄せられる霊魂のタイプをある程度に決定するので、妊娠中の思いには注意しなければなりません。P90エドガーケイシーのリーディングでは、霊魂が肉体に宿るのは、「誕生の少し前か、誕生後少し経ってからか、誕生と同時」と言っているが、シルバーバーチは下記のように言っている。『シルバー・バーチの霊訓（3）』（近藤千雄訳）P173霊としてのあなたは無始無終の存在です。なぜなら霊は生命を構成するものそのものであり、生命は霊を構成するそのものだからです。あなたという存在は常にありました。生命力そのものである宇宙の大霊の一部である以上、あなたには始まりというものはありません。が、個体として、他と区別された意識ある存在としては、その無始無終の生命の流れの中のどこかで始まりをもつことになります。受胎作用は精子と卵子とが結合して、生命力の一分子が自我を表現するための媒体を提供することです。生命力はその媒体が与えられるまでは顕現されません。それを地上の両親が提供してくれるわけです。精子と卵子が合体して新たな結合体を作ると、小さな霊の分子が自然の法則に従ってその結合体と融合し、かくして物質の世界での顕現を開始します。私の考えでは、その時点が意識の始まりです。その瞬間から意識をもつ個体としての生活が始まるのです。それ以後は永遠に個性を具えた存在を維持します。『シルバー・バーチの霊訓（4）』（近藤千雄訳）P53（霊は妊娠中のどの時期に宿るのか）　異議を唱える方が多いことと思いますが、私は二つの種子（精子と卵子）が合体して、ミニチュアの形にせよ、霊が機能するための媒体を提供したとき、その時が地上生活の出発点であると申し上げます。『シルバー・バーチの霊訓(4)』（近藤千雄訳）P62（霊魂はどこから来るか）　あなたのご質問には誤解があるようです。あなたがた人間が霊魂をこしらえるのではありません。人間がすることは霊魂が自我を表現するための器官を提供することだけです。生命の根源である"霊″は無限です。無限なるものに個性はありません。その一部が個体としての表現器官を得て地上に現れる。その表現器官を提供するのが人間の役目なのです。霊は永遠の存在ですから、あなたも個体に宿る以前からずっと存在していたわけです。しかし個性を具えた存在、つまり個体としては受胎の瞬間から存在を得ることになります。霊界にはすでに地上生活を体験した人間が大ぜいいます。その中にはもう一度地上へ行って果たさねばならない責任、やり直さなければならない用事、達成しなければならない仕事といったものを抱えている者が沢山います。そして、その目的のためのチャンスを与えてくれる最適の身体を求めているのです。『シルバー・バーチの霊訓（１）』（近藤千雄訳）P109（自分で人生を選んで生まれてくる）　　 地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生を辿るかをあらかじめ承知しております。潜在的大我の発達にとって必要な資質を身につけるうえでそのコースがいちばん効果的であることを得心して、その大我の自由意志によって選択するのです。その意味であなた方は自分がどんな人生を生きるかを承知のうえで生まれて来ているのです。その人生を生き抜き困難を克服することが内在する資質を開発し、真の自我ーーより大きな自分に、新たな神性を付加していくのです。　その意味では "お気の毒に････" などと同情する必要もなく、地上の不公平や不正に対して憤慨することもないわけです。こちらの世界は、この不公平や不正がきちんと償われる世界です。あなた方の世界は準備をする世界です。私が "魂は知っている" と言う時、それは細かい出来ごとの一つひとつまで知り尽くしているという意味ではありません。どういうコースを辿るかを理解しているということです。その道程における体験を通して自我が目覚め悟りを開くということは、時間的要素と各種のエネルギーの相互作用の絡まった問題です。例えば予期していた悟りの段階まで到達しないことがあります。するとその埋め合わせに再び地上へ戻って来ることになります。それを何度も繰り返すことがあります。そうしているうちにようやく必要な資質を身につけて大我の一部として融合していきます。『シルバー・バーチの霊訓 (8)』（近藤千雄訳）P46（受胎の瞬間から霊が宿り、そこから個性が発達していくのか）　個性という用語を持ち出されるとまたややこしくなります。生命は霊であり霊は生命です。両者は二つにして一つです。受胎と呼んでいるものは、そこに生命があるということを意味します。受胎がなければ生命は存在しません。したがって霊は受胎の瞬間に物質に宿ることになります。　その後の発達の問題ですが、これは環境条件によって異なりますのでさらに問題がやっかいです。受胎時に宿る霊も、霊としてはそれまでずっと存在していたのです。ですから、個性の問題は、その個性よりはるかに大きい霊全体のどの部分が表現されるかの問題となります。『シルバー・バーチの霊訓 (8)』（近藤千雄訳）P47（受胎後のどの段階で人間となるのか）　受胎の瞬間から生命が存在し、したがって霊が存在します。流産とか中絶とかがあっても、それは生命を破壊したことにはなりません。その生命の表現の場をあなた方の世界から私たちの世界へと移しただけです。　『シルバー・バーチの霊訓 (8)』（近藤千雄訳）P47（子宮内の生命もれっきとした人間なのか）　潜在的には受胎の瞬間から人間であり、人間性のすべてを宿しております。受胎の瞬間から身体的機能のすべてを潜在的に宿しているごとく、霊的機能もすべて宿しております。霊的機能が存在しなければ身体的機能も存在しません。物質は霊の影だからです。エドガーケイシーが妊娠中の女性へアドバイスあなたが欲しいと思う子供のタイプによります。もしも音楽の才能がある芸術的な子供を欲しかったら、音楽や美や芸術について考えなさい。またどうしても機械的な人間が欲しいと思うなら、機械のことを考え、機械をいじりなさい。そんなことをしても効果がないなどと考えてはなりません。ここにすべての母親が知らなくてはならないことがあります。それは、妊娠中の態度は、その両親を水路として生まれてくる霊魂の性格と非常に関連があることです。P91人間の苦悩の中でも最も痛々しいのは、心身の不自由な子供を産んだ苦悩でしょう。------異常なるものにはどんなものでも、たいていカルマが関係しているものです。生まれながらの不自由は、何らかの前世のカルマの暗示しています。また、親とその不幸な子供との関係にも、ほとんどカルマが関係しています。P91不自由な子供を授かったご両親へすべての不自由は、生まれてきた子供さんが神と約束してきたことなのです。世間で言われるような、「親の因果が子に報い」ではないのです。スピリチュアリズムで説く「カルマの法則」とは、すべて自分の行ってきたことを問われるものであって、たとえ親やご先祖に大きなカルマがあったとしても、そのカルマはそれぞれの人たちが自分で支払うべきものなのです。それを子孫が背負うなどとは摂理に反するものです。私たちは、両親やご先祖様の血を引きついてはいますが、それはあくまでも肉体遺伝子を引きついただけのことであって、霊的に観たら他人の魂同士なのです。それがたまたま今回は家族としての約束をして、この地上に降りてきただけです。今回の人生が終わったら、次にはまた別な肉体遺伝子を求めて、新たな家族関係のもとに生まれてくることになります。それなのに、世間では子どもの心身の不自由は、両親のせいであると勘違いしています。特に母親の責任として、時には嫁ぎ先の義理の両親や親族までがお嫁さんに冷たい視線を注ぐことがありますが、これだって摂理を知らないための完全なる無理解なのです。P165暗黒界、つまり日本的に言えば地獄界ですが、そこは残忍な人たちが強制的に隔離されて、己の気持ちに気づくまで留め置かれる矯正の境涯です。ですから、暗黒界に絶対存在しないのが次のようなものになります。・光---つまり暗い闇の世界です。・芳香---暗黒界は悪臭の世界であり、芳しい香りなど一切ありません。・子供たち---暗黒界は地上の刑務所と同じで、矯正の場です。その点、子供たちは何も過ちを犯していない穢れ無き魂なのですから、矯正する必要もないのです。ですから、暗黒界には子供たちはおりません。動物たち---動物たちもまた穢れ無き生き物ですから、反省する必要もありません。ただ、暗黒界での戦争に馬が登場しますが、これは弱い立場の人霊が無理やり馬に変化させられただけのことです。・植物と樹木---暗黒界は岩と石ころだらけの、花も咲かない世界です。P168情けの呪縛これが意外かもしれませんが、家族愛、夫婦愛などの、善意にかかる感情から迷い霊となってしまう場合があります。情けというものは人間世界の付き合いでは大事な要素ですが、これがまた、クモの糸のように粘着性が強くて、地上界を去る時の厄介な障害となります。いわゆる相手を思うがゆえに成仏しがたくなるのです。例えば、遺した家族のことを心配するあまり、その家に居残ってしまう場合があります。あるいは、亡くなった本人にしたら善意から、その家の守り神になったつもりで居残る霊もおります。人間死んだらまずは霊界に還って、今生での自分の生き方を守護霊や指導霊、高級霊たちと一緒に総括し、そこで反省すべき点があったら反省し、間違った意識は正すべきなのです。そのうえで尚も家族のために尽くしたいと願うのだったら、自分の指導霊にお伺いを立てて、その許可を得てから地上に降りてきて、家族の指導霊となるのが本当の筋道です。それが、個人の独断で地上に居残ってしまい、家族を守護しているつもりでいるとしたら、それは絶対神へとつながる正しい霊界の機構の一員とは申せません。単なる情に縛られただけの、無知な迷い霊・はぐれ霊にしか過ぎないのです。あるいは遺された家族があまりにも悲しみますと、その悲しみの感情はそのまま亡くなった人に伝わりますから、それで後ろ髪を引かれるような想いで成仏できなくなってしまうこともあります。遺された側があまりにも強い憐憫(れんびん)の情けに駆られてしまっている場合を霊視しますと、「悲しみの情け」という荒縄が、亡くなった人をがんじがらめに縛り付けているのだそうです。P210「類は友を呼ぶ」という言葉があります。波動の法則に従って、似た者同士が集まる世界、それが霊界です。わかりやすく言いますと、あなたが還る霊界の境涯は、あなたとそっくりの性格や考え方の人たちが集まっているところです。P214高額な法名・戒名を頂いたから自分は高みの世界に行けるはずだと思うのは、残念ながら勘違いです。高額な法名代・戒名代は僧侶たちの懐を潤すだけのことで、魂の浄化には何の関係もありません。自分は生前に「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」を一生懸命唱えていたから、極楽浄土に阿弥陀如来様が連れて行ってくださるというのも、とんだ期待外れです。P217
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			<pubDate>Mon, 9 Dec 2019 11:13:28 +0900</pubDate>
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			<title>麻薬常習者・幽界など</title>
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麻薬常習者麻薬中毒の恐ろしさは、冷酷非情であり、死んでからも麻薬を欲しいばかりにその勢いを持続する。その欲求は、魂の奥深く植え付けられているので、それが満たされない地縛霊の苦悶は、言語に絶するものがあるらしい。その霊は、その欲求を霊感の強い人間や波長の合う人間に憑依することによって、その欲求を満たそうとするので、憑依された人間は、麻薬常習者になってしまう。麻薬中毒で死んだ人は、自殺した人よりあの世では苦しみの連続のようだ。魂が火で焼かれるような苦しみ。地上時代は、自分では麻薬なんか欲しくないのに、何かしら麻薬中毒で死んだ霊と波長が合ってしまい、その邪霊が強い力で麻薬をやるようにそそのかす。死後の世界がどんなところかを知れば、麻薬には手を出せないだろう。人間は死んでも、地上時代の願望や欲求をそのまま持っていく。それは、魂に所属したものであって、肉体にあるのではない。金銭欲、利己心、うぬぼれなどが災いしていると利己心＝自分本位、わがまま金銭欲、利己心、うぬぼれ、虚栄心、野心などの考え方を持っていた人間は、そうした低級な意識から脱して人のために自分を犠牲にする行為を通して、愛と同情心に目覚めるまでは、他界後もずっと幽界にとどまっているケースが少なくない。死後にも生命があることを知らずに死んだ人は、暗闇の中で過ごすことになる。無知が生む暗黒である。暗闇に居て、地球上で生きてたときの無知や利己心などの反省と改心の余地がある霊は、自分の守護霊を含む高級霊が意図的に改心を促すことがある。真理(真実)はいつか必ずわかる。それが地球上で生きているときなのか、霊界へ行ってからなのか。この地球上で生きているときに知ることが最良である。人間は最も愛する身近な人の他界と言ったような深い深い悲しみの体験をしないことには、真理が悟れないようだ。現代生活はとてもせわしなくなっている。1秒たりとも精神が休まるときがない。そのことが人々の神経系統を疲れさせ、自分を見失わせ、しまいには、地縛霊につけ入るスキを与えてしまう。毎日仕事のことで悩み、心配し、時には対人関係が思うようにいかず、喧嘩をしたり、実体のない取越し苦労をしたりと、不安、悩み、心配、悲しみの中での生活を過ごしている。そんな悩み、不安、取越し苦労が一番いけない。精神が落ち込めば、その波長が地縛霊の波長と合ってしまい、憑依され、自分の人格が変わってしまうようなことになりかねない。憑依されないにしても、肉体的、精神的な病気になってしまう。これを克服する力は、宇宙の真理を知ることである。人間はこの世に生まれてきたのは、肉体が亡くなった後の事を知っておくため、そして他人には愛と奉仕をすることである。人間に死はないのである。いつも笑顔で今日一日を精一杯過ごすことである。自らの自覚によって日常生活を明るく陽気なものにし、落ち込んだり、心配、動揺したりしてはいけない。腹を立てたり悲しんだりしてもいけない。そういう感情は、霊界の低界層につながる。低界層と波長が合うと地縛霊が寄ってくる。幼子地上生活を体験せずに他界した子は、霊界の教師や指導者によって、実物教育による体験を積んで成長するようだ。地上と違って、様々な教育施設があって、そこに通って勉強する。素晴らしい成長をするようだ。幽界での集団この世を去った後、地上的波動から抜け切れずにいる霊が、地獄さながらの悲惨な境涯の中で、無益な生活を続けている。同じ考え方、性格の人が集団を作っている。金の亡者の集団、世を恨んだり人に仕返しをしたい集団、男女の交わりから抜けきれない集団などなど。こういう集団は、その目的だけのために心を閉ざしているので、なかなか霊界への道を歩もうとしない。霊界の指導霊や高級霊は、何とかして上の界へ行かせてやりたいと音楽を聞かせたり、上層界の素晴らしい絵を見せたりといろいろな手段を使う。憑依する霊、憑依される人間憑依する霊の多くは、地縛霊である。憑依される人間は、霊感のある人、神経が衰弱した人などで、肉体の不調も招きやすい。生命力が低下すると抵抗力が弱まり、霊の侵入が容易になる。その際、憑依される人間も憑依する霊も、互いに相手の存在を意識していないらしい。利己的で邪悪な性向から、その欲望のはけ口を見つけようと、適当な人間を探し回る霊もいる。そういう霊は、生前の性癖や欲望を満たすための肉体はすでにない。そこで多くの霊は、人間から放射されているオーラに引きつられ、そのオーラにとりついて、それを欲望を満たすための手段とする。人間に憑依した霊は、自分の想念を押し付け、自分の感情を移入させ、その人間の意志力を弱めさせ、しばしばその行動まで支配し、大きな問題や精神的混乱や苦痛を生じさせる。世の中の不可解な出来事や不幸の原因は、これら地縛霊の影響があることもある。憑依した霊は、その人間の性格を変え、人格が変わったようになり、多重人格症、人格分裂症、軽い精神異常からヒステリー、てんかん、優うつ症、病的盗癖、自痴的行為、狂信、自殺、記憶喪失、神経衰弱、大酒飲み、不道徳行為、獣的行為、狂暴などの犯罪行為をおこさせる。迷える霊との対話----C.Aウィックランド著　　　　近藤千雄　訳ウィリアム・イェイッ霊が1920年10月27日の招霊会で話したこと。地上の人間にとって生命とは何かということは大変な問題です。そのことを勉強し、物質に宿っての存在について学んでくださるとありがたいのですが・・・肉体を離れてこちらに来るスピリットの多くが、無知の暗黒の中へと入ってしまうのは残念なことです。信仰心しか持たないからそういうことになるのです。神を賛美し歌い、そして祈る事ばかりしています。近づこうにも近づけません。地球を取り巻くように存在する物的波動のエーテルの界層は、”地縛霊”と呼ばれるスピリットの住む暗黒の世界です。利己主義と無知が生み出す暗黒です。そこから抜け出すには、霊的理解力(悟り)が芽生えて、霊的視力が使えるようにならなければならないのですが、そのためにはまず、生命の実相について知り、自分の幸せだけを求める信仰を捨てなければなりません。その種のスピリットは、地上時代に人のために汗や涙を流すことがなかった者たちです。”人のため”ということがどういうことであるかを知らないまま、自分のためにだけ生きてきました。自分以外の人の事を考えるまで霊性が発達していないのです。その暗黒界の様相は、実際に見ていただくほかはありません。私は二人の親戚の者に案内してもらったのですが、自殺者ばかりが集まっている境涯、狂信者が通う教会ばかりが立ち並ぶ境涯、スラム街、拝金主義者ばかりの街などなど、それは凄絶を極めております、しかし、その事実自体も問題ですが、もっと問題なのは、そうした境涯のスピリットが出す波動が、地上の類似した人間の波動と合致して、生活を破綻に追いやっている現実です。このように地球のすぐ周りに、無知の世界が存在し、死後そこで目を覚ます者が多いのです。どんなに善人であっても、どんなにまじめな人生を送っていても、ただこれだけでは十分ではありません。死後の世界についての知識がないと、目覚めた後はしばらくは暗闇の中に居ます。そのあと、いつ霊的覚醒が訪れるかは、その人が地上で培った霊性の程度(霊格)いかんによります。不思議なのは、地上生活において他人のために役立つことをしたその行為によって、死後に落ち着く家と環境が気付かれているということです。当然、清らかな人生を送った人には、清らかな環境が待ち受けておりますが、先ほど申した通り、霊的摂理の知識が欠けていると、すぐそこへ行きつくことが出来ずに、いわば、道に迷ってしまうことがあるのです。面白いことに、自分の事しか考えない人生を送った人の霊界での家は、自分一人がやっと入れるような、小さな、ケチ臭い形をしております。連れ添う人も見当たらず、自分一人の侘しい環境の中に自分を見だすことになるわけです。そうした侘しさに耐えきれなくなって、神に救いを求めるようになった時こそ、向上のチャンス到来です。まず地上時代の利己的な生き方は、生み出した結果を見せつけられ、良心の呵責を覚え始めます。自分が害を及ぼした相手がまだ地上にいる場合は、その人の背後霊の一人として、その償いが済むまで援助してやらねばなりません。すでに他界している場合は、そのスピリットを探し求めて、何らかの形で償いをしなくてはなりません。そうした段階を経てようやく、もう一段上の界層へと向上していくことになります。信仰と言うものは、何の役にも立ちません。大切なのは行為です。地上にいる間に霊的存在としてなすべきことを実行し、そして神が創造なされたこの森羅万象の不思議さに目覚めなくてはいけません。存在のすべてが神なのです。暗黒界の探訪　　霊界通信　ベールの彼方の生活③　「天界の政庁篇」　　　　　　　G・Vオーエン著　　近藤千雄　訳　204ページ～第10界にいる15名の霊団が暗黒界を訪れた。その中から抜粋して記載します。我々はいよいよ暗さを増す境涯へと足を踏み入れた。すると強靭な精神力と用心深い足取りを要する一種異様な魂の圧迫感が、急速に増していくのを感じた。そのささやかな光の土地に立って深い谷底へ眼をやると、一体を覆う暗闇の濃さはものすごく、我々の視力では見通すことが出来なかった。その不気味な黒い霧の上を薄ぼんやりとして光が射しているが、暗闇を突き通すことはできない。それほど濃厚なのです。---------------------------「諸君いよいよ陰湿な土地にやってまいりました。これからはあまり楽しい気分にはさせてくれませんが、我々の進むべき道はこの先であり、せいぜい足をしっかりと踏みしめられたい。」すると一人が言った。「憎しみと絶望の冷気が、谷底から伝わってくるのが感じられます。あの苦悶の海の中ではロクな仕事は出来そうにもありませんが、たとえわずかでも一刻の猶予も許せません。その間も彼らは苦しんでいるのですから・・・」--------------樹木もあることはある。中には大きなものもあるが、その大半に葉が見られない。葉があっても形に愛らしさがない。すすけた緑色と黄色ばかりで、あたかもその周辺に住む者の敵意を象徴するかのように、ヤリのようなギザギザが付いている。いくつか小川を渡ったが、石ころだらけで水が少なく、その水もヘドロだらけで悪臭を放っていた。そうこうしているうちに、ようやく目指す集落が見えてきた。--------------たいていの人間は、悪人は神の御国の範囲の外にいるもの、罪悪や災害は、神のエネルギーが誤って顕現したものと考えます。しかし実は両者とも神の御手の中にあり、悪人さえも、本人はそうとも知らずとも、究極においては、それなりの計画と目的を成就させられているのです。5地獄の底　242ページ～　ここからは本の内容は記載しません。それはそれは恐ろしい光景が書かれてあります。地獄はないのですが、人間の想念がそう思うだけです。しかし、この世でいわれているような恐ろしい世界のようです。読んで見てください。機会があれば、ここに記載しようと思っています。
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			<pubDate>Mon, 9 Dec 2019 11:09:00 +0900</pubDate>
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			<title>シルバーバーチの霊訓　　その２</title>
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シルバーバーチの霊訓(四)　　ページ172他界した肉親や先祖霊からの援助を受けるにはどうすればいいでしょうか。「あなたが愛し、あなたを愛してくれた人々は、決してあなたを見捨てることはありません。いわば愛情の届く距離を半径とした円の範囲内で常にあなたを見守っています。時には近くもなり、時には遠くもなりましょう。が決して去ってしまうことはありません。その人たちの念があなた方を動かしています。必要な時は強く作用することもありますが、反対にあなたがたが恐怖感や悩み、心配等の念で壁をこしらえてしまい、外部から近づけなくしていることがあります。悲しみに涙を流せば、その涙が霊まで遠く流してしまいます。穏やかな心、安らかな気持ち、希望と信念と自信に満ちた明るい雰囲気に包まれているときは、そこにきっと多くの霊が寄ってまいります。私たち霊界のものは出来るだけ人間との接触を求めて近づこうとするのですが、どれだけ接近できるかは、その人間の雰囲気、成長の度合い、進化の程度にかかっています。霊的なものに一切反応しない人間とは接触できません。霊的自覚、悟り、ないしは霊的活気のある人とはすぐに接触がとれ、一体関係が保てます。そういう人はスピリチュアリストばかりとは限りません。知識としてスピリチュアリズムのことを知らなくても、霊的なことを理解できる人であればそれでいいのです。とにかく冷静で受容的な心を保つことです。取越苦労、悩み、心配の念がいちばんいけません。それらがモヤをこしらえて、私たちを近づけなくするのです。」そういう霊にこちらからの念が通じますか。「一概にイエスともノーとも言いかねます。魂の進化の程度が問題になるからです。波長の問題です。もしも双方がほぼ同程度の段階にあれば通じるでしょう。が、あまりに距離がありすぎれば全く波長が反応し合いませんから、通じないでしょう。」シルバーバーチの霊訓1.蒔かれた種は刈り取られなければなりません　地上世界で何をやっても、その結果から免れると考えてはなりません。私たちも神の法則を曲げることはできないのです。蒔かれた種は刈り取られなければなりません。利己主義の種を蒔けば、その結果を刈り取るのは蒔いた人です。高慢、嫉妬、妬み、貪欲、悪意、不信、懐疑など、これらのどれもが、実を結ぶ時には、戦争を起こし、困窮を生み出し、不和となるのです。(「霊訓原文」38)2.様々な困苦は霊性を高めていくための道程です　明るさと暗さ、光と影はすべて、一である全体の反映であるにすぎません。影がなければ光はありませんし、光がなければ影もありません。人生での様々な困苦は、霊性を高めていくための道程です。困苦、障害、不利益などは、すべて霊的成長のための試練なのです。これらをすべて克服できた時、霊性は強まり、浄化され、深みを増し、より大きく成長を遂げていくことになります。(「霊訓原文」48)3.あなた方の力で乗り越えられない困難はありません　あなた方は霊性を磨き上げるためにこの地上に生まれました。霊性を向上させていくために、あなたが方はいろいろな困難にぶつかっていきます。しかし、この世のどんなに困難なことでも、あなた方の力で乗り越えられない困難はありません。この世の困難はすべて物的なものであり、あなた方は神の分身だからです。(「霊訓原文」32) 4.あなた方は死んでも火葬されても生きていきます　あなた方は死んでも生きています。火葬されても生きていきます。あなた方は霊だからです。この地上世界でも、霊界においても、あなた方の不滅の霊を破壊することは出来ません。それは、あなた方がこの世に生まれたときに授けられた生命の賜物なのです。(「霊訓原文」101)5.恐怖は魂を閉じ込めてしまう牢獄を作ります　恐怖は魂を閉じ込めてしまう牢獄を作ります。恐怖の波動で乱されることなく、それを乗り越えていかねばなりません。誰にもやり遂げる力はあるのです。人にはどのような環境をも乗り越えていける力が与えられています。そのことを知り、完全な信仰と自信と信頼をもって、「私には神性が宿っており、どのような状況も私を揺るがすことはできない。私の魂にはあらゆる困難に打つ勝つ無限の力があるのだ」と自分自身に言ってください。6.あなた方は肉体を通して自己を表現している霊です　あなた方が生命の現われと思っているものの背後には、不滅の霊的存在が控えており、あなた方地上世界の子たちは、肉体を持った人間であると同時に、肉体を通して自己を表現している霊であることも学んでいかなければなりません。(「霊訓原文」5)　シルバーバーチの霊訓7巻　　154ページ「お二人のこれからの人生が日向ばかりだとは申し上げられません。曇りの日もあることでしょう。時には雨にもうたれることもあるでしょう。困難なことがあるでしょう。試練に出会うこともあるでしょう。人生は一本調子のものではありません。色彩もあり変化もあります。障害に出会うことでしょう。何もかもうまくいく楽しい日々もあれば、すべてが絶望的に思える暗い日々もある事でしょう。そうしたさまざまな体験の中でこそ性格が培われるのです。人生を形づくっている様々な体験の中で培われるのです。もしも人生が初めから終わりまでラクにいったら、もしも乗り切るべき困難もなく耐え忍ぶべき試練もなく、克服すべき障害もないとしたら、そこにはなんの進歩も得られないことになります。レースは競い合うからこそ価値があるのです。賞は楽にはもらえず一生懸命頑張った後にいただくから価値があるのです。そういう価値ある人間になるように努力しなさい。この世に克服できない悩みはありません。ですから、悩んではいけないのです。征服できない困難はないのです。力の及ばないほど大きな出来事は何一つ起きないのです。ひとつ一つの経験から教訓を学ぶことです。難しいと思ったときは、ひるまず自分にムチを打つのです。そうすればそれだけ前より強い人間となります。自分が霊であること、それが肉体を通して表現しているのだということ、そして自分という永遠の霊に傷を負わせたり害を及ぼしたりするものは決して生じないということを忘れないことです。世間でいう成功者になるかならないかはどうでもよいことです。この世的な成功によって手に入れたものは、そのうちあっさりと価値を失ってしまいます。大切なのは自分の霊性の最高のものに対して誠実であること、自分でこれこそ真実であると信じるものに目をつぶることなく、本当の自分自身に忠実であること、良心の命令に素直に従えることです。それさえできれば、世間がどう見ようと、自分は自分としての最善を尽くしたのだという信念が湧いてきます。そして、いよいよ地上生活に別れを告げる時が来た時、死後に待ち受ける生活への備えが十分にできていると自信を持って、平然として死を迎えることができます。なぜ幼児の段階で人生に終止符を打たれることが多いのでしょうか。「子供の観点からすれば、前世で中途で終わった人生をその短い期間で補完をするためである場合があります。親の観点からすれば我が子を失うことによる試練または罪滅ぼしである場合がよくあります」
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			<pubDate>Mon, 9 Dec 2019 11:00:08 +0900</pubDate>
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