由加里

由加里のこと

 

2018年4月9日(月)
2018年(平成30年)4月9日(月)最愛の娘「由加里」があの世へ旅立った。
お腹にもうすぐ生まれる男の子がいてその日の朝4時頃に陣痛のような気配がしたので、夫に連れられ近くの病院へ行った。
分娩室に入ったが、まだまだということで病室へ入った。
6時頃由加里の様態が急変し、6時22分には意識がなくなりかけた。病院の看護師らは病院内に応援を求めるべく非常徴集をかけた。
医師達が駆け付けたが手当ての甲斐なく午前7時12分に帰らぬ人となった。
お腹の子どもと一緒に旅立った・・・
病名は、当初「羊水塞染症」と言われていたが、後日、「劇症型A群溶連菌感染症」(別名:人食いバクテリア)と言われた。

 

生い立ち
由加里は、昭和55年(1983年)5月5日に私たち夫婦の二女としてこの世に生まれた。
3歳違いの姉がいる。姉は昭和52年11月3日生まれである。
由加里の生まれた時、頭の髪の毛はすごく多かった。
近所に住むおじちゃんが「千日かつら」と言ったその頭の毛は、頭全体に毛髪がトゲのように、いがぐりのようになっていた。
順調にすくすくと育ち、幼稚園、小学校、中学校、高校と学業にも励んだ。
この子は、愛嬌のある子でいつも笑顔で他の人を笑顔で包み込み幸せにする子であった。
手がかからない優しい愛想のあるある子であった。
幼いころはほっぺが赤くリンゴのような赤いほっぺで笑顔がとっても素敵であった。
大きな病気もせずスクスクと育っていった。
中学生になり部活をしなければと。その当時、姉がハンドボール部に所属していて、姉の試合の応援に行くとき何回か連れて行っていた。そんな経緯がありハンドボール部に入部した。
ハンドボール部ではずば抜けてすごい選手でもなかったが、一生懸命に練習に明け暮れた。顧問の先生やコーチに叱られてもくじけることはなかった。
愛嬌がある頑張り屋さんだった。
試合では右サイドのレギュラーとして活躍した。
高校に入学してもハンドボール部に入部した。
中学高校と素敵な友達に巡り合えて充実した学校生活を送っていたと思う。
一番いい時期だったのだろう。
高校を卒業するにあたって、どこに就職するか私たち夫婦と話し合った。
姉は、既に都会の看護専門学校で勉強しており、どうも私たち夫婦の元へは帰ってきそうもない。
由加里には何とかしてここに残ってもらいたいと望んだ。
この子は親思いの子であった。
地元の会社の事務員として1999年4月1日に入社した。
持ち前の愛嬌のある笑顔から人気があったようだ。

 

サルコイドーシス
どこでどうなったのか、難病の一つである「サルコイドーシス」と言う病気にかかった。
サルコイドーシスとは、リンパ節、肺、皮膚、眼、心臓、筋肉など全身諸臓器に乾酪壊死を認めない類上皮細胞内芽種が形成される全身性の肉芽腫性疾患である。原因は不明とのことである。
(皮膚や臓器、神経、眼球など全身の様々な部位に肉芽腫が形成される病気。肉芽腫とは類上皮細胞やリンパ球などが集合して硬くなった結節であり、内部にアクネ菌(ニキビの原因菌)を封じ込めるような形態をしている。)
由加里の場合は、心臓にサルコイドーシスが形成されていた。
定期的に病院へ通い薬のみでの完治を試みていた。
何故、サルコイドーシスに罹ったのかわからない。
辛い症状はなかったと思う。
原因がわからない病気ということで不安だったに違いないと思う。

 

結婚・長男誕生
2006年(平成18年)4月1日にはお婿さんを迎い入れる結婚式を執り行った。
楽しい結婚生活を送っていたが、子どもはまだまだのようであった。
サルコイドーシスの治療薬を服用していたため子作りはためらっていたと思う。
その間は、姉の子どもに男の子と女の子がいたので、こちらへ遊びに来ているときはすごく可愛がって無邪気に子どもたちと遊んだり面倒を見たりしていた。
すごく子煩悩なところがあった。
2011年(平成23年)3月31日に12年間務めた会社を辞めた。
会社の社長や多くの人からは、何度も引き留められたが、円満退職した。
サルコイドーシスを治すことに専念して、完治した暁には子どもと一緒に人生を楽しみたいと会社を辞めたと思う。
そのかいあって、サルコイドーシスもほぼ治り、薬も飲まなくてよくなったことで第一子の男の子が2015年(平成27年)5月13日に生まれた。
結婚してから実に10年近くの歳月が経っていた。
待望の子どもで私たち夫婦もすごく喜んだ。初の内孫である。
優悟と命名し、それからは楽しみながら時には四苦八苦しながら子育てにいそしんでいた。
優悟をすごく可愛がり日々の生活に充実感を味わいながら、成長していくのを楽しみにしていた。
子育てでわからないことなどがあったら、母ちゃんに聞いたりして一生懸命に子育てに専念していた。
優悟が生まれてきたことで人生に希望が見えてきて、さらに次の子どもが生まれるのを楽しみにし、赤ちゃんがお腹にいる10か月の間は、食事にも気を使い車の振動にも注意を払っていた。

 

2018年(平成30年)4月9日(月)
2017年7月頃に第二子となる子を妊娠した。
10か月後を楽しみにしながらお腹の子をいたわり生活に十分注意して過ごしていた。家族で誰かが風邪を引けば風に罹った家族を隔離してまでお腹の子に気を使っていた。
2018年1月に切迫早産のため10日間ほど病院に入院した。
その後は、冒頭に書いたとおりである。
由加里が亡くなったその日は、夫が病院で付き添っており私の妻が知らせを受けすぐに病院へ行った。
私は、優悟がまだ寝ていたので優悟に付き添っていた。
7時12分にぐっすり寝ていた優悟がいきなり泣いて起きたので、抱きかかえようとするも壁際のほうへ行き、泣きじゃくっていた。
後から考えると、優悟が急に起きたのは、由加里が亡くなった時間だった。
きっと由加里は優悟に会いに来て何か話しかけたのではないかと思う。
私は、由加里の死に目には会えなかった。
私は、優悟を私たちの家へ連れてきて(私たちの家と由加里の家はすぐ近く)病院へ行く準備をしていたが、悔しくて悔しくて部屋で拳で畳をたたきながら一人泣き叫んでいた。優悟がけげんそうな顔で私を見つめていたのを覚えている。
そして、泣きながら姉に電話をしたが、姉は「嘘やろ、嘘やろ」
姉は由加里が病院で意識が亡くなったことは逐次ラインで連絡していたから知っていたが、まさかと思ったのも無理はない。
普通は、ある人が意識が無くなってもそんなに急に死ぬはずはないのだから。
親より先にあの世へ逝ってしまうなんて、、、
「俺は、今まで由加里を一生懸命育ててきたか??由加里のために何かをしてあげたか??愛情を精一杯捧げてきたか??」
病院のベッドで口の中にチューブを入れられている由加里を見て、悔しくて悔しくてただ茫然とし由加里にすがりつき泣きじゃくった。

 

お通夜・葬儀
2018年(平成30年)4月11日(水)午後7時からお通夜。
由加里のお通夜にはとっても多くの参列者があった。
お通夜が終わり、その日の香典の集計が済み葬儀場の責任者が今日の参列者の数は555人(正確には香典の数)だったと言われた。そのとき、えぇっと。
由加里の生年月日は、昭和55年5月5日の5のゾロ目。
由加里からのメッセージか、だとしたら何のメッセージなのか。
人はそういうこともあるよねと言うが・・・
そして、仏教でいう由加里の35日は5月13日、これは優悟の誕生日。

 

何故死んだのか
しばらくして、病院から由加里の死因の説明をしたいと連絡があった。
医師1人と私たち夫婦と夫とで病院で説明を受けた。
いろいろ説明されたが、そうなのかと思うだけで医学的知識の無い我々にはなかなか理解するのは困難であった。
いろいろ質問もして答えもいただいたが、あぁそうですかで終わってしまった。
医療ミスではないかと言う人もいたが、それを追及したところで由加里は帰ってこないから、、、、、、、、、、、、、
少し落ち着いてきたころ、由加里は何故死んだのかを知りたくて、何か手掛かりがないかネットなどで調べていた。
ふと、以前読んだ本に大本教に当時いた浅野和三郎さんが審神者になって霊媒者と死者との交霊をしたと書いてあったので、大本教なら審神者が出来る人がいるのではないかと、大本教へメールで尋ねた。
大本教からの返信は、そのようなことはしていないということであった。
なんとかしようとネットサーフィンをしていて見つけたのが、どこのサイトかは忘れたが「シルバーバーチの霊訓」と言う本の説明、抜粋が載っていたので読むと、これを読んでみようと思った。
パソコンで検索するとオークションにいくつかあったので、早く読みたいとのことから即決で出ている1〜12巻36000円のを落札した。
むさぼり読んだ。
死後の世界ってあるんだな、死後の実世界、人は霊であり生きていても死んでも霊である。
今まで誰からも聞いたことのないこの世あの世の事が真実として書かれてあるという。
宇宙の法則、神、見返りの無い奉仕、利他愛などこの世はあの世へ逝った時のための学習の場だと。
この1年間(2018年6月〜2019年10月)の間に40冊ほどの霊に関する本を購入し読んだ。
利他愛、因果律、カルマなどほんのちょっぴり知り得た。
ほんのちょっぴりとは、私の年齢からすると頭の中に記憶として残っていないのではないかと、断片的に知っただけかも。

 

由加里との交霊
購入した本の中に、山村幸夫さんという心霊治療家の語っている本があり、それを本にされた人がS.Kさんです。
S.Kさんに本を注文していくつかの本を読ませていただいたが、どれもわかりやすく書かれてあり、自費出版と言え製本もすぐれたものであった。
そのS.Kさんに家族の事でお願いすることがあり、快く引き受けていただいた。
S.Kさんは、心霊治療家ではないが、背後にブルースバンドと言う霊団がいるようです。その霊団の中には当然山村幸夫さんもいます。
S.Kさんには、かねてから由加里との交霊をしていただける人がいないかと尋ねていた。
この続きは、由加里との交霊を見てください。

 

恒例行事
結婚してから毎年夏には、由加里夫婦と姉夫婦家族4人そして私たち夫婦とでディズニーランドやディズニーシーなどへ2泊3日で遊びに行くのが恒例行事で楽しく面白く過ごした。
そんな恒例行事も2018年から途絶えてしまった。

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