シルバーバーチの霊訓 その2

シルバーバーチの霊訓(四)  ページ172

 

他界した肉親や先祖霊からの援助を受けるにはどうすればいいでしょうか。

 

「あなたが愛し、あなたを愛してくれた人々は、決してあなたを見捨てることはありません。いわば愛情の届く距離を半径とした円の範囲内で常にあなたを見守っています。時には近くもなり、時には遠くもなりましょう。が決して去ってしまうことはありません。その人たちの念があなた方を動かしています。必要な時は強く作用することもありますが、反対にあなたがたが恐怖感や悩み、心配等の念で壁をこしらえてしまい、外部から近づけなくしていることがあります。悲しみに涙を流せば、その涙が霊まで遠く流してしまいます。穏やかな心、安らかな気持ち、希望と信念と自信に満ちた明るい雰囲気に包まれているときは、そこにきっと多くの霊が寄ってまいります。私たち霊界のものは出来るだけ人間との接触を求めて近づこうとするのですが、どれだけ接近できるかは、その人間の雰囲気、成長の度合い、進化の程度にかかっています。霊的なものに一切反応しない人間とは接触できません。霊的自覚、悟り、ないしは霊的活気のある人とはすぐに接触がとれ、一体関係が保てます。そういう人はスピリチュアリストばかりとは限りません。知識としてスピリチュアリズムのことを知らなくても、霊的なことを理解できる人であればそれでいいのです。とにかく冷静で受容的な心を保つことです。取越苦労、悩み、心配の念がいちばんいけません。それらがモヤをこしらえて、私たちを近づけなくするのです。」

 

そういう霊にこちらからの念が通じますか。

 

「一概にイエスともノーとも言いかねます。魂の進化の程度が問題になるからです。波長の問題です。もしも双方がほぼ同程度の段階にあれば通じるでしょう。が、あまりに距離がありすぎれば全く波長が反応し合いませんから、通じないでしょう。」

 

シルバーバーチの霊訓

 

1.蒔かれた種は刈り取られなければなりません
 地上世界で何をやっても、その結果から免れると考えてはなりません。私たちも神の法則を曲げることはできないのです。蒔かれた種は刈り取られなければなりません。利己主義の種を蒔けば、その結果を刈り取るのは蒔いた人です。高慢、嫉妬、妬み、貪欲、悪意、不信、懐疑など、これらのどれもが、実を結ぶ時には、戦争を起こし、困窮を生み出し、不和となるのです。(「霊訓原文」38)

 

2.様々な困苦は霊性を高めていくための道程です
 明るさと暗さ、光と影はすべて、一である全体の反映であるにすぎません。影がなければ光はありませんし、光がなければ影もありません。人生での様々な困苦は、霊性を高めていくための道程です。困苦、障害、不利益などは、すべて霊的成長のための試練なのです。これらをすべて克服できた時、霊性は強まり、浄化され、深みを増し、より大きく成長を遂げていくことになります。(「霊訓原文」48)

 

3.あなた方の力で乗り越えられない困難はありません
 あなた方は霊性を磨き上げるためにこの地上に生まれました。霊性を向上させていくために、あなたが方はいろいろな困難にぶつかっていきます。しかし、この世のどんなに困難なことでも、あなた方の力で乗り越えられない困難はありません。この世の困難はすべて物的なものであり、あなた方は神の分身だからです。(「霊訓原文」32)?

 

4.あなた方は死んでも火葬されても生きていきます
 あなた方は死んでも生きています。火葬されても生きていきます。あなた方は霊だからです。この地上世界でも、霊界においても、あなた方の不滅の霊を破壊することは出来ません。それは、あなた方がこの世に生まれたときに授けられた生命の賜物なのです。(「霊訓原文」101)

 

5.恐怖は魂を閉じ込めてしまう牢獄を作ります
 恐怖は魂を閉じ込めてしまう牢獄を作ります。恐怖の波動で乱されることなく、それを乗り越えていかねばなりません。誰にもやり遂げる力はあるのです。人にはどのような環境をも乗り越えていける力が与えられています。そのことを知り、完全な信仰と自信と信頼をもって、「私には神性が宿っており、どのような状況も私を揺るがすことはできない。私の魂にはあらゆる困難に打つ勝つ無限の力があるのだ」と自分自身に言ってください。

 

6.あなた方は肉体を通して自己を表現している霊です
 あなた方が生命の現われと思っているものの背後には、不滅の霊的存在が控えており、あなた方地上世界の子たちは、肉体を持った人間であると同時に、肉体を通して自己を表現している霊であることも学んでいかなければなりません。(「霊訓原文」5)

 

 

シルバーバーチの霊訓7巻  154ページ

 

「お二人のこれからの人生が日向ばかりだとは申し上げられません。曇りの日もあることでしょう。時には雨にもうたれることもあるでしょう。困難なことがあるでしょう。試練に出会うこともあるでしょう。人生は一本調子のものではありません。色彩もあり変化もあります。障害に出会うことでしょう。何もかもうまくいく楽しい日々もあれば、すべてが絶望的に思える暗い日々もある事でしょう。そうしたさまざまな体験の中でこそ性格が培われるのです。人生を形づくっている様々な体験の中で培われるのです。もしも人生が初めから終わりまでラクにいったら、もしも乗り切るべき困難もなく耐え忍ぶべき試練もなく、克服すべき障害もないとしたら、そこにはなんの進歩も得られないことになります。レースは競い合うからこそ価値があるのです。賞は楽にはもらえず一生懸命頑張った後にいただくから価値があるのです。そういう価値ある人間になるように努力しなさい。この世に克服できない悩みはありません。ですから、悩んではいけないのです。征服できない困難はないのです。力の及ばないほど大きな出来事は何一つ起きないのです。ひとつ一つの経験から教訓を学ぶことです。難しいと思ったときは、ひるまず自分にムチを打つのです。そうすればそれだけ前より強い人間となります。自分が霊であること、それが肉体を通して表現しているのだということ、そして自分という永遠の霊に傷を負わせたり害を及ぼしたりするものは決して生じないということを忘れないことです。世間でいう成功者になるかならないかはどうでもよいことです。この世的な成功によって手に入れたものは、そのうちあっさりと価値を失ってしまいます。大切なのは自分の霊性の最高のものに対して誠実であること、自分でこれこそ真実であると信じるものに目をつぶることなく、本当の自分自身に忠実であること、良心の命令に素直に従えることです。それさえできれば、世間がどう見ようと、自分は自分としての最善を尽くしたのだという信念が湧いてきます。そして、いよいよ地上生活に別れを告げる時が来た時、死後に待ち受ける生活への備えが十分にできていると自信を持って、平然として死を迎えることができます。

 

 

なぜ幼児の段階で人生に終止符を打たれることが多いのでしょうか。
「子供の観点からすれば、前世で中途で終わった人生をその短い期間で補完をするためである場合があります。親の観点からすれば我が子を失うことによる試練または罪滅ぼしである場合がよくあります」

 

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