入会山だった高登山
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 高登山(たかとうやま)は、河合村の中央部に位置し、地元ではなじみの深い山です。河合村角川から元田方面に車を走らすと「高登建設」「高登山のふもと新名」の看板があります。
 河合村誌によると、高登山は「朝がら山」ともいいました。また、この山は、藩領時代から、ふもとの新名(しんみょう)、元田(げんだ)と他の4ヶ村を合わせ、6ヶ村共同の入会山となっていました。そのため、この6ヶ村の間で、山の権利をめぐって様々な紛争がありました。たとえば、享保16年(1731)春には、新名村敷のあさがら谷で、羽根村の百姓が薪をかり、とがめられて、よき・なた・とび各数丁等を押収された事件、あるいは宝暦14年(1764)、元田村敷の朝がら山内の西またというところの栃の木を、元田村が木地屋に売却しようとしたところ、他の五ヶ村で反対、訴訟になった事件など、数限りない記録が残っています。(六郎洞山ソンボ山参照)
 斐太後風土記では、元田村の項で、「阿左賀良山(あさがらやま)、高さ百ニ十丈、周囲三里八丁。北は元田村より、新名村にまたがる。麻柄(あさがら)は、麻の茎をさらし乾かしたるなり。三四月に白花あり、大木もあり、白雲と呼も、花葉相似たりとあり、其木此山に多く生るにや。」と書いてあります。
 続ぎふ百山は、朝川原谷、下朝川原谷、朝川原峠という地名も残っていることから、高登山一帯は、麻の自生地か、栽培地であったと推測しています。かつて飛騨では焼畑で麻をつくることもありました。(火山蕪山参照)
 高登山は、登山道がないことから残雪期の山とされてきましたが、上朝川原谷の林道が山頂近くまで延びているので、無雪期でも登ることができます(林道終点から15分程度の藪こぎあり)。ただし林道上部は、荒れていて草が深い場所もあるので、春先や秋が登山に適しています。林道途中に自動車を置いて登ることになります。
【参考】岡山 準編(1990):河合村誌通史編、河合村役場
富田礼彦(1873):斐太後風土記(下巻)、雄山閣(復刻版)
岐阜県山岳連盟(1993):続ぎふ百山、岐阜新聞社
山頂付近から笠・乗鞍遠望
【登頂日】2003年7月5日
【標高】1297m
【場所】岐阜県吉城郡河合村
【記録】10:40 上朝川原谷林道(900m地点)自動車 11:40 林道終点 11:55 山頂着 13:00 山頂発 13:10 林道 14:00 自動車