カナ地名の山・ソンボ山
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 北飛騨と越中付近には、カナ地名が多くあります。その中のひとつ、ソンボ山について宮川村誌は次のように記しています。「天保15(1844)年の御林山内箇所付帳によると、巣納谷、鮎飛、洞三村の入会山として、薪、柴草を刈り、入山にも適当な山であった。」一方神岡町史によると、「活葉樹原生林で名高い尊保山」と漢字で記してあり、「尊保を水源に流れ出た渓流尊保川にかけられたつり橋を渡るとそこが谷村である」といいます。
 ソンボ山の地名の起源は不明です。しかし、いくつかの解釈があるので次に紹介します。まず、「地名学」によるソンボ山の説明では、方言トンボは頂上のこととあります。「飛騨の山々」では、ソンボはアイヌ語で「小さな滝が連続した谷」を示すといい、アイヌ語説を紹介しています。「ぎふ百山」では、平安、鎌倉時代に東北から移住し定着したろくろ師(木地師)が、習い覚えたアイヌ語を使った名残りだという説明を紹介しています。(六郎洞山高登山参照)
 また、「続奥飛騨物語」では、正倉院文書から説明しています。つまり、文書にある「天平5(761)年、従八位勾部(まかりべ゙)猪麻呂、飛騨国荒城郡の人」が名付けたとされます。当時の都、橿原にはソンボの川(飛鳥川の別名で遊部川の訛、尊坊川と呼ばれていた)が流れていました。
 ソンボ山へは宮川村土地区から登りました。土谷の林道入口には、ゲートがあって自動車では入れません。標高1,010m付近まで林道を歩くと分岐があります。左手の草に埋もれた林道に入ると約15分で終点です。終点の手前200mくらいの間で斜面を15分程度登ると稜線に出ます。このヤブ漕ぎ(ユキツバキ)は、カラマツ・スギ林の下で隙間も多いので楽勝です。稜線に登る道は草に埋もれてしまったようです。しかし稜線上の刈払道は明瞭で木には赤ペンキがあります。山頂付近でチシマザサのため道がややわかりにくいですが、道の真中に三角点がありました。雪がチシマザサの葉に積もっていたため、ズボンが濡れました。樹間から白木峰や富山平野がわかりました。
【参考】宮川村誌編纂委員会(1981):宮川村誌通史編上、宮川村誌編纂委員会
神岡町(1980):神岡町史史料編別巻、神岡町
鏡味完ニ(1965):地名学、日本地名学研究所
酒井昭市(1992):飛騨の山々国境編、ナカニシヤ出版
岐阜県山岳連盟(1975):ぎふ百山、岐阜日日新聞社
松下運衛(1988):続奥飛騨物語、大衆書房
唐掘山(左の尾根、雲の下は富山平野)
【登頂日】2003年11月23日
【標高】1193m
【場所】岐阜県吉城郡宮川村
【記録】】11:10 土谷の林道入口(510m) 12:10 林道分岐(1010m 左の林道へ) 12:25 林道終点(斜面やぶこぎ) 12:40 稜線(歩道) 13:30 山頂着 14:15 山頂発 14:52 稜線降口 15:05 稜線(先へ進み戻り下降)  15:20 林道分岐 16:05 土谷林道入口