山の夕立・三俣蓮華岳
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 三俣蓮華岳というと、飛騨、信濃、越中三国の境界にあります。名の由来について、ぎふ百山は山崎安冶氏の「山の履歴書」を紹介しています。つまり明治43年、小島烏水ら3人が嘉門次の案内で槍から薬師岳に縦走したとき、嘉門次の述べた話によります。飛騨の猟師たちがクマ猟をしたとき、このあたりで仕留め、クマの胆のうのつもりで肝臓(蓮華胆)を食ったため、信州の猟師が「蓮華喰ミの岳」とあざけったといいます。以後国境をもじって三俣蓮華岳と呼ぶようになりました。
 三俣蓮華岳は、黒部五郎岳、雲ノ平方面の分岐です。そこでちょうど夕立にあいました。このときの気象データがあるので紹介します。
 夏山では、午前中の晴天であっても、午後になると、雲や霧におおわれ、激しいにわか雨や雷雨となるのは、岳人なら誰でも体験しています。その原因は、日射で地面が熱せられることと、上空寒気であるとされます。軽い暖気は上昇、寒気は下降します。その上昇気流が、積乱雲(入道雲)をつくるわけです。(笠置山参照) しかし、山岳にはきめ細かな気象データが無いため、夕立の局地性の実態や原因についてはよくわかっていません。
 それは、2001年8月14日に新穂高温泉から小池新道経由で、三俣蓮華岳から三俣山荘に行たときです。この日は、朝から晴天でしたが午後曇り始め、午後3時ころ三俣蓮華山頂付近は激しい夕立になりました。このときの三俣蓮華岳山頂では、夕立のあったころ気温が急下降しています。これは上空寒気が下降したことを示します。一方、北方にある薬師岳や黒部五郎岳ではこのような急下降がありません。つまり夕立は三俣蓮華岳付近の局地的なものでした。
 同時刻の長野岐阜両県の風向分布図を作成すると、長野から飛騨にかけて、飛騨山脈中央部を横切って風の不連続線(前線のようなもの)ができていました。中部地方には、夏の午後太平洋側と日本海側の境界に風の不連続線がしばしば現れます。不連続線の出現頻度の高い場所があり、所々局地的降雨になります。その一部分が三俣蓮華岳周辺だったわけです。(以上、飛騨山脈南部における夏山晴天日の局地循環)
 かの深田久弥氏も、三俣蓮華岳付近で夕立にあいました。それは黒部五郎岳の項で、「ある年の夏の夕方、私は三ツ俣蓮華の方から雨に濡れて双六小屋に辿りついた。そこで図らずも中村精太郎画伯のお会いした。‐‐‐」と記してあります。(日本百名山)
【参考】岐阜県山岳連盟(1975):ぎふ百山、岐阜日日新聞
中田裕一(2002):飛騨山脈南部における夏山晴天日の局地循環、気象学会中部支部研究会要旨集
深田久弥(1991):日本百名山新装版、新潮社
夕立の後の虹(三俣山荘で)
【登頂日】2001年8月14日など
【標高】2841m
【場所】岐阜県吉城郡上宝村
【記録】(8月13日)16:55 新穂高駐車場 17:10 バスターミナル 18:15 笠新道入口 18:30 わさび平 (8月14日)5:10 わさび平 6:30 秩父沢 7:55 シシウドヶ原 8:55 鏡平着 9:25 鏡平発 10:25 稜線着 10:40 稜線発 11:50 双六小屋着 12:50 双六小屋発 14:50 三俣峠 15:25 三俣山荘キャンプ場 (8月15日)5:25 三俣キャンプ場 6:25 鷲羽岳山頂着 6:40 山頂発 7:25 三俣キャンプ場着(続く)