国境の山・唐掘山
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 富山県と接する唐堀山は、宮川村小豆沢の北方に送電線のつながる山として見えます。富山県山名録によると、唐掘のカラは窪んでいることで、ホリは池の意味です。山頂から中腹にかけて湿地帯になっていて、上の池、中の池、下の池などがあります。
 江戸時代、小豆澤村は国境の村で関所がありました。斐太後風土記には、飛騨越中国界論として次のように書いてあります。「金森家領国中(幕府飛騨直轄前)、越中国婦負郡桐谷村の者が来て、薪木盗伐したので、寛文十二壬子(1672)年八月、小豆澤その他の村民が、幕府に訴えた。そこで幕府は、翌年七月、越中婦負郡民を江戸に呼んで調べ、検使を送り飛越国界論裁許絵図と裏書を与えた。」
 後風土記には、絵図の裏書も掲載してあります。そこでは境界を次のように記してあります。「東方小豆澤村八町下、両国境の石塚より、こかや原・平之尾を通り、北之谷、しろきが峯西方境谷、金剛ヶ岳の峯を通り、これを墨引きし評定の面々が加印し国境を定めた。」この中のこかや原・平之尾あたりは、今の唐掘山付近と思います。(蕎麦角山参照)
 また越中の百山の唐掘山の項を読むと、昭和43(1968)年当時、「白木峰稜線上の5万分の1の地形図には境界線がなく、現場は谷を境に、昔からの栗の大木の切株を目印にしているには驚いた。」と記してあります。(白木峰参照)
 小豆沢付近の宮川沿いは、険しい地形のため江戸時代、籠の渡しのあった場所の1つでした。後風土記によれば、「藤を籠に幾十にうちとめて、藤の大綱を川の両岸に張り渡し、留株にからみつなぐ。その籠に人を乗せて、こっちの岸よりかなたの岸へ引き渡す。あたかも、くもの糸を伝うに似て、その危険なことはいうまでもない。」とあります。山と深い谷の多い飛騨は、川沿いの道はむしろ危険なことが多いため、峠越えの道が発達していました。(大坊山参照)
 唐掘山へは、県境尾根上にある送電線の巡視路を利用すれば登れます。登り口は、県境の北側(旧国道360号線)のJR唐掘トンネル入口(トンネル番号46)にあります。国道の新道からは入れないので注意してください。山頂付近はチシマザサの草原です。山頂より5分程度進むと広いヘリポートがあり休息に適しています。
【参考】富田礼彦(1873):斐太後風土記(上下巻)、雄山閣(復刻版)
橋本廣・佐伯邦夫(2001):富山県山名録、桂書房
富山県教職員組合(1973):越中の百山:北日本新聞社
尾根上から見た北之俣、黒部五郎、槍(左から)の山並み
【登頂日】2003年10月5日など
【標高】1160m
【場所】岐阜県吉城郡宮川村
【記録】】12:07 飛越トンネル下登山口 12:40 分岐右へ 12:55 13鉄塔 13:10 12鉄塔着 13:15 13鉄塔発 13:36 10鉄塔 14:05 山頂着 14:15 山頂発 14:20 ヘリポート着 15:05 ヘリポート発 15:15 山頂 15:35 10鉄塔 16:15 登山口着