忍城のあった蕎麦角山
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 飛騨北部にある蕎麦角山(そばかどやま)について、地名学の中の「飛騨から親不知を経て信州へ」によれば、その頂上が蕎麦粒のように凹凸があると記してあります。江戸期の飛騨国中案内の戸谷村の項では、「戸谷村北の方国境の字【万波】という所へ行道あり、峠越なり、此間にぬの谷・小谷とて2ヶ所谷越あり、此間一里あり、峠より左手南の方の山は字そばかと山という山なり」とあります。蕎麦角山の名は江戸期にすでにあったことがわかります。
 かつては、ふもとの西忍から山頂を通って万波に通じる峠道もありました。万波から白木峰は、江戸時代も秘境の高地で飛越国境論争の地でした。(唐掘山参照)
 また、山頂近くには、戦国期に忍城(しのぶじょう)というお城がありました。明治期の飛騨山川によると、「志野比古城は森安谷の上に在り西忍に跨りて万波に通ずる山道に近し。」という説明があります。
 飛騨の城を読むと、忍城について以下のように記してありました。「標高およそ1,100m山上の詰城はニ段に構築して、城の段という。城の南面森安谷から山上へ縦の空堀がある。城主は享禄頃牛丸氏の一族牛丸与重郎がいた。享禄4年(1531)3月20日。三木氏に攻められ敗戦落城した。戦は山麓屋形で、夜襲または奇襲戦ではないか。この季節、雪は深くて山上詰城では戦は困難である。」(松倉山上城山参照)
 蕎麦角山には、南面に上がる林道の終点(1030m付近)から、尾根に沿って北に向って登山道があります。山頂の北側や東側にも道が続いていました。山から降りる途中、城の調査に来た人と出会いました。途中の溝のような地形が、お城の空掘であることを教えてもらいました。尾根の西側はカラマツの植林地、東側はブナ、コナラ地帯です。山頂部は、チシマザサでしたが、登山道の途中ではミヤマクマザサとチシマザサが混生していました。樹間から、剣岳や立山、県境の山、白木峰が見えました。
【参考】鏡味完ニ(1965):地名学、日本地名学研究所
上村義満(1746):飛騨国中案内、大衆書房(復刻板)
岡村利平(1911):飛騨山川、大衆書房(復刻版)
森本一雄(1987):飛騨の城、郷土出版社
山頂付近から白木峰
【登頂日】2003年11月2日
【標高】1222m
【場所】岐阜県吉城郡宮川村
【記録】】10:30 林道終点(1030m) 11:00 山頂着 12:30 山頂発 12:55 林道終点