狼伝説の手掛岩山
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 手掛岩山は、約30分で山頂に立てる山です。加茂郡東白川村上親田の集落から林道に入ると登山口の標識があり登山道もあります。面白い山名には、次のような由来があります。
 諸国遍歴の僧の姿をした老人が、この山のふもとの日向地内の白川のほとりにたどりついたとき、オオカミの群れに襲われました。僧は錫杖で戦いました。しかしオオカミの数はますます増えてきました。そのとき僧は、前の山の大岩に気がつき、「これぞ天のたすけ。」と手を掛けてよじ登り、天高く空に姿を消してしまいました。後で村人が行ってみると、岩はまっ二つに割れて岩角に手の指の跡があったのです。そこで村人は、あの僧を菩薩の化身だと思ったということです。指の跡は、天狗様の手の跡だという話しもあります。(仏ヶ尾山参照
 またこの山では、昔、雨乞いや陽乞いの儀式が行われたそうです。山頂直下には確かに大岩がいくつかありました。巨人ならば手が掛けられそうな大岩でした。そして山頂からは、阿寺山地の山々を遠望できました。(雨乞棚山参照)
 江戸時代末期には、もうニホンオオカミの数は少なくなっていたと思われます。オオカミは、もともと田を荒らすイノシシ、シカを退治する守護神とされてきました。ところが、江戸時代享保17年(1732年)以降、狂犬病の流行によってイヌのみならず人間も被害を受けるようになりました。そして、明治以降の野生動物の乱獲の影響を受けて、シカやイノシシともにオオカミも著しく減少しました。最後のオオカミ標本をアメリカ人が買い取ったのは、明治38年(1905年)、奈良県でのことでした。この伝説ができたときは、まだオオカミの存在が生々しい頃だったに違いありません。(川上岳参照
【参考】岐阜県山岳連盟(1993):続ぎふ百山、岐阜新聞社
東白川村誌編纂委員会(1982):新修東白川村誌通史編、東白川村
高橋洋二(1998):人はなぜ山に登るのか、別冊太陽(平凡社)

山頂直下の手掛岩
【登頂日】2001年4月7日など
【標高】909m
【場所】岐阜県加茂郡東白川村
【記録】12:45 登山口(上親田の林道) 13:15 山頂着 14:40 山頂発 15:05 登山口