山姥の住んでいた仏ヶ尾山
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 萩原町仏ヶ尾山の岩穴は、ふもとの野上で昔雨乞いをした場所でした。雨が必要になると、ふもとの氏神に集まり、太鼓をたたき竹法螺を吹きながら、社殿の真上の尾根を岩穴まで登りました。岩のまわりで焚き火をすると、煙を穴の中に入れ、仏ヶ尾山の頂上で御岳と白山を拝みました。(雨乞棚山参照
 また仏ヶ尾山には、力持ちの山姥(やまんば、山の神)が住んでいたという伝説があります。山姥は、お産をしたとき産水が必要になり、山頂近くの穴岩から益田川の水を汲もうとしました。このとき穴岩を1蹴りし、ふもとの野上の瀬の上の石を蹴って水を汲みました。その足跡が指の跡まで岩に残っているそうです。(穴岩の説明板、手掛岩山参照
 仏ヶ尾山の名の由来は、次の伝説によります。江戸時代、野上に彦七という百姓が住んでいました。彦七は、鉄砲で鳥や獣を打ちました。あるとき黒谷の山の頂上で1羽の山鳥を打って近づくと、それは山鳥ではなく木彫りの阿弥陀如来でした。彦七は、恐くなり家に帰ると、仏様が「我を連れてまいれ。」という夢を毎晩見ました。そこで阿弥陀如来を大切に持って帰り、仏壇にお参りし鉄砲打ちはやめました。すると彦七の田畑の作物がよく実ったといいます。
 仏ヶ尾山へは、野上から青年団がつくったという登山道があります。途中、穴岩がありました。そこからピークに登り、さらに少し降りて北側へ登り返すと山頂です。帰りは、山頂の北側(向こう側)の連坂峠から降りました。当時、峠から萩原側の道ははっきりしていませんでした。現在は林道が伸びているかもしれません。
【参考】萩原のむかし話編集委員会(1978):萩原のむかし話、萩原町教育委員会

連坂峠の地蔵様
【登頂日】1992年11月8日など
【標高】1139m
【場所】岐阜県益田郡萩原町
【記録】8:45 登山口(羽根) 10:45 山頂着 山頂発 連坂峠 登山口