毘沙門岳と白山信仰

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 毘沙門天は、仏教の護法神で、もとは暗黒界の悪霊の主でしたが、ヒンズー教で福徳をつかさどる神になりました。仏教に取り入れられて、北方を護る善神となり「多聞天」とも呼ばれます。日本では、毘沙門天に対して武将からの信仰が厚く、楠木正成は、幼名を多聞丸と呼ばれていたほどです。(ニッポン神様図鑑)
 また毘沙門天は、官職栄達、勝軍祈願の対象でした。戦国時代、越後の上杉謙信が、旗印とした「毘」は、軍神としての信仰とともに、「北方鎮護」を意識したものだといいます。(石仏入門)
 毘沙門岳のふもとの白山長滝神社(長滝寺)が白山信仰の拠点であることから、毘沙門岳も白山信仰に因むもののようです。長滝神社の社伝によると、養老元年(717)、越の泰澄が白山登頂のおり、霊告により長滝寺を造営しました。養老6年(722)、元正天皇の病が治るよう祈願したところ治ったので、養老7年(723)、十一面観音、聖観音、阿弥陀如来の三尊を奉納し、白山本地中宮長滝寺となりました。以来神社は、平安、鎌倉、室町と栄え、明治に入って神仏分離令により、長滝寺を分離して白山神社となりました。(郷土資料事典)
 毘沙門岳の登り口のある桧峠の看板によると、白山登拝の道を開いた泰澄大使は、なかなか道が見つからず、桧峠を越して石徹白(いとしろ)から白山を目指しました。(白山大日ヶ岳参照)
 山頂は、広くてのんびりできます。北方に白山を望めることから、この山に毘沙門岳の名が与えられたのかもしれません。東には乗鞍岳や御嶽山、南には奥美濃の山を望めます。
【参考】宗教民俗研究所(1996):ニッポン神様図鑑、はまの出版
日下部朝一郎(1972):石仏入門、国書刊行会
人文社観光と旅編集部(1990):郷土資料事典、岐阜県、人文社

山頂から白山
【登頂日】2004年10月16日
【標高】1386m
【場所】岐阜県郡上市白鳥町
【記録】12:00 道標登山口 12:27 スキー場建物 12:46 下谷林道方面分岐 13:07 山頂着 14:00 山頂発 14:15 下谷林道方面分岐 14:35 スキー場建物 14:50 登山口