飛越国境の山・横岳大権現
山語り目次 地図検索
 飛越国境の山・横岳は、飛騨市神岡町大多和から登ります。ふもとには大多和峠があり、富山県有峰に抜けることができます。しかし、跡津川断層に沿うこの峠は、冬は不通になる険しい道です。江戸期の飛騨国中案内によると、「大多和村より国境まで一里余 峠より北の方の山は字【横嶽山】と云う この道筋は大難所故、牛馬の足立ち難き道なり」とあります。
 山頂近くには、大多和の守り神である2体の権現様があります。越中の百山を読むと、地元の老人の話がありました。「霊験あらたかな権現様で、昔から干ばつの年は、大多和在の村人が谷づめに登って、輪になりながら大きな数珠にお題目を唱えながら、僧侶に雨乞いの祈願をしてもらったそうだ。(近くの池の)水も涸れたことがない」また、地元では、数年毎に崩谷から草を刈って横岳大権現に参拝します(飛騨の山山)。飛騨国境の山52の登山記録によると、このルートは崩谷より300mほど峠道を進んだ斜面から入り、沢登りをして稜線の権現様に出ます。そこから山頂まで約800mは藪こぎです。(雨乞棚山参照)
 佐古の少し上に自動車を置いて、崩谷の北側から入り、崩谷を横切って雪の斜面を登りました。稜線に出ると山頂東側のコルでした。広い山頂からは、立山から薬師、黒部五郎、笠、乗鞍、御岳に至る山波、白山、東笠山、西笠山、そして飛騨・越中の山々--と展望抜群でした。権現様に行ってみると、背後の拮梗ヶ池、権現池は雪の下でした。帰りは、山頂で会った方(可児からの3人)から目印をつけていると聞き、それを利用しながら大多和へ尾根を南下しました。
【参考】上村義満(1746):飛騨国中案内、大衆書房(復刻板)
富山県高体連山岳部(1973):越中の百山、北日本新聞社
酒井昭市(1990):飛騨の山山、ヤブ山編、ナカニシヤ
飛騨山岳会(1998):飛騨国境の山52、飛騨山岳会
左から剣・立山・薬師(山頂より)

横岳大権現
【登頂日】2005年4月24日
【標高】1623m
【場所】岐阜県飛騨市神岡町
【記録】10:15 佐古の上700m地点 11:10 崩谷 11:15 登口 11:40 谷を渡る 13:07 稜線(左へ) 13:15 山頂着 14:05 山頂発 14:20 横岳権現 14:37 山頂着 14:45 山頂発(高幡山への尾根) 16:00 林道(大多和の下) 16:20 自動車