輝山(てらしやま)と牧水の平湯温泉
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 輝山は、ふもとの平湯からみる山々の中で、一番最初に朝日が当たって輝く場所として名づけられました(岐阜新聞社)。昔は照山の字を当てました(飛騨の山山)。(日照岳参照)それほど古くからあった山名ではなく、大正時代、この地で社会教育を行った篠原無然が、輝山に山荘を作った際に名づけたようです。無然は、乗鞍岳登山道沿いの、大丹生岳、大黒岳、猿飛び八丁、姫ヶ原等の地名の名づけ親でもあります(雪の碑)(福地山参照)丹生川川では、この山を酒もり山と呼んでいたそうです(飛騨山岳会)
 輝山の登り口、平湯峠には、若山牧水の歌碑があります。「のぼり来て 平湯峠ゆ 見はるかす ひだの平に 雲こごりたり 牧水」 牧水は、焼岳を越え平湯にやってきました。そのときの平湯温泉について牧水の紀行文(或る旅と絵葉書)が残っています。「焼岳と乗鞍岳の中間に在る様なその山あいの湯は意外にもこんでいた。案内者の昔馴染みだという一軒の湯宿に入ってゆくと、普通の部屋は全部他の客人でふさがっていた。−−−−真夜中に独り湯殿に降りてゆくと、破れた様な壁や窓から月が射し込んでいた。平湯温泉には一箇所共同湯があるのみであるが、僅かにその宿だけが持っているというその内湯の小さな湯殿の三方は田圃となっていた。そして霜の深げな稲の上に照り渡っている月光は寧ろ恐ろしいほどに澄んでいた。」大正ころの平湯温泉の様子がわかります。この後、彼は飛騨高山で、高山出身の旧友、詩歌仲間だった福田夕咲と再会を果たします。牧水は、酒が好きだったようで酒を酌み交わす話がよく出てきます。(焼岳参照)
 平湯峠から輝山へは道が無いので、残雪期に登りました。1975m峰まで登ると、飛騨山脈や平湯の温泉街が良く見えました。平湯から見える輝山はこの山頂です。地図上の山頂は、さらに尾根を行きます。オオシラビソに囲まれた静かな山頂でした。途中、雲が虹色に輝く彩雲も見えました。
【参考】岐阜新聞社(2002):輝く大自然、3月11日記事
酒井昭市(1990):飛騨の山山、ヤブ山編、ナカニシヤ
若山牧水(1929):或る旅と絵葉書、改造社(牧水全集)
江夏美好(1980):雪の碑、河出書房新社
飛騨山岳会(2008):ふるさとの山飛騨百山、高山ビジネスマシン
左から穂高・焼・アカンダナ山(後ろは霞沢岳)・安房山
【登頂日】2005年4月23日
【標高】2063m
【場所】岐阜県高山市奥飛騨温泉郷
【記録】9:40 平湯峠入口ゲート 10:15 平湯峠 11:15 1975mピーク 12:05 山頂着 13:30 山頂発 14:00 1975mピーク 14:25 平湯峠 14:50 平湯峠入口ゲート