土倉山と中生代化石
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 土倉山は、地図では無名峰で、その名は、山の南にある舟原側からのものです(飛騨の山山)。ダムに沈んだ保の集落は、土倉山の西側にありました。そこの伝説によると、保の一番高い山には、地獄に続く穴があります。鬼が火車ひいて、村の二人の娘をその穴に落としてしまったといいます(飛騨の史話と伝説)。その山はちょうど土倉山のあたりになります。
 また、岐阜県北部、富山県、石川県、福井県にかけて、中生代ジュラ紀から白亜紀の時代の地層(1億4千万年前くらい前)が所々分布しています。この地層は手取層といい、白川村ではこの地層から恐竜の足跡化石が見つかっています。
 土倉山の入り口、飛騨市河合町稲越真の谷はちょうどこの手取層です。林道の斜面の砂岩を、根気にハンマーでたたくとシジミの化石を発見できます。手取層には、海で堆積したものと湖で堆積したものがあります。手取層の湖は、海とつながったときもありました。シジミは淡水性の貝なので、真の谷の地層は湖のものです。この地が水没していたころ、気候は現在より温暖で、湖にはシジミ、陸上は裸子植物の大森林がありました。その密林には、比較的小型の恐竜が生息していたことが化石からだんだんわかってきました。(飛騨の大地をさぐる)(黒部五郎岳参照)
 土倉山へは、真の谷の稲越川に沿う林道を入ります。やがて林道は堰堤によって寸断されるので、その後は沢登りです。尾根に上がると切り株やかん木が多くてたいへんなので、沢をできるだけつめ最後にスギの植林地をよじ登ると良いと思います。山頂稜線には、踏跡がありました。猿ヶ馬場山が近くに見えました。
【参考】酒井昭市(1990):飛騨の山山、ヤブ山編、ナカニシヤ
土田吉左衛門(1962):飛騨の史話と伝説(吉城郡の部)、北飛タイムス社
飛騨地学研究会(1988):飛騨の大地をさぐる、教育出版文化協会
山頂手前からの猿ヶ馬場山(中央)と籾糠山(右)
【登頂日】2005年5月4日
【標高】1381m
【場所】岐阜県飛騨市河合町
【記録】10:25 真の谷(870m) 11:05 右の尾根に上がる(1000m) 13:45 山頂着 14:20 山頂発(谷に降りる) 15:25 尾根に上がった場所 15:40 真の谷(自動車)