御料林のあった高屹山
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 高屹山(たかたわやま)は、久々野町無数河付近から東方に見える三角峰です。高屹山の「屹」は、もともと「そばだつ」という意味があり「キツ」と読みます(漢字百話 山やま事典)。そこで難読語辞典をひいてみると、屹立(高くそびえ立つこと)、屹然(山などが高くそびえ立つさま)の用例がありました。以上から、高屹山の名は、ふもとからすくっと高くそばだって見えることに由来すると考えます。
 高屹山甲谷付近は、かつて江戸時代には御料林でした。金森長近は、飛騨を領するにあたり飛騨の森林を御料林として、山林を保護し伐採を制限し、森林から利益を得たのです。江戸時代、久々野村、阿多野郷(朝日、高根方面)は、南方山に属しました。当時、飛騨の山林は、南方山方村と北方山方村に分かれていました。
 久々野村付近の住民の多くは、阿多野の山中に出稼ぎに出て、割り当てられた森林の伐採に従事しました。それを益田川から流送して伊勢湾まで運びました。これらの費用は、山方民に支払われ、山方米として働く人々に支給されました。
 この制度は幕府直轄になっても、だいたい引き継がれました。しかし大原代官が明和8(1771)年、伐採山林のの休山を命じたため、山方民の生活が成り立たなくなりました。そして、このことがあの大原騒動の原因のひとつとなりました。(以上、史跡と史話)(井出の小路山参照)
 高屹山へは、記録の多くが朝日村甲谷からだったので、甲谷林道を利用して登りました。しかし、山頂にに登ってみると、久々野町久須母方面から登山道ができていることを知りました。標識も整備されているようです。山頂からは、位山三山が同じ方向に並んで見えます。御嶽も乗鞍も展望を欲しいままにできます。山頂付近はヒノキの植林地です。
【参考】近藤信行(1988):漢字百話 山やま事典、大修館書店
日外アソシエーツ辞書編集部(1993):難読語辞典、日外アソシエーツ株式会社
久々野ふるさと文庫刊行会(1987):史跡と史話、久々野町役場
山頂からの位山三山(左から船山、奥中に川上岳、位山)
【登頂日】2003年4月27日
【標高】1303m
【場所】岐阜県大野郡朝日村
【記録】11:55 甲林道1050m地点 12:10 マイクロバス(右上の林道へ) 12:15 林道終点(ヒノキ植林地を直登) 12:40 山頂着 13:15 山頂発 13:25 ふれあい広場 13:45 林道終点 13:55 自動車(1050m地点)