見はかりの山・見量山
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 高山市郊外の見量山(みはかやま)は、江戸時代には御墓山ともいいました。江戸中期の飛騨国中案内によると、「高山(たかやま)の城山の戌亥(北西)に、御墓山という大山がある。その山頂に墓所と思われる2間四方の築地があり、これを帝の御墓所との言い伝えがある。この塚の上に登れば、災難や怪我をこうむる。」という記述があります。
 一方、明治間もないころの斐太後風土記では、墓所という見方には懐疑的です。その記述は次のようです。「見量山の近くの高僧洞(こそぼら)は、国造洞(こそぼら)で、かつての斐太国造の住居があり、その墓所が御墓山とされる。しかし、国造の住居の証拠はなく、墓所とは疑わしい。付近の三枝の古記には、高僧洞は幸草洞とある。見量山の山頂に初雪降れば、15日後には、三枝、名田、川上など近郷へも雪が降って根雪になることから見量山という。また山頂からは、吉城、大野の近郷を眺めることができ、どこの里もわかるので見量山という。」 しかし、飛騨山川(明治44年)では、御墓山の漢字を当ててあることから、一方で墓所の言い伝えがあったことがわかります。(高城山参照)
 見量山へは、高山市赤保木から、登山道がありますが、「いかなる理由であっても登山禁止」の看板があります。マツタケ山であるためです。そのため、国府町瓜巣側から登りました。見量山直下まで林道があります。自動車で行けるところまで行って、踏み後をたどりました。山頂からは、高山盆地が一望できました。しかし、墓所の跡はよくわかりませんでした。
【参考】上村義満(1746):飛騨国中案内、大衆書房(復刻板)
富田礼彦(1873):斐太後風土記(上巻)、雄山閣(復刻版)
岡村利平(1911):飛騨山川、大衆書房(復刻版)

山頂からの高山盆地
【登頂日】2000年11月26日
【標高】997m
【場所】岐阜県吉城郡国府町
【記録】11:26 国府町瓜巣林道(標高790m) 12:23 山頂着 13:45 山頂発 14:10 瓜巣林道