北夕森山と「モリノヤマ信仰」
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 山名に「森」の付く山は、東北や四国などに多くあります。岐阜県では、阿寺山地周辺から東濃地方に「森」のつく山名が多くあります。北夕森山もそのひとつで、他に、高森山、二ツ森山、天狗森山、三森山等があります。山形県鳥海山周辺では、月山森、観音森、四国愛媛県石槌山周辺では、瓶ヶ森など数え始めたらきりがありません。北夕森山のように、森の後ろに山が付く場合は、森に山の意味があるのが忘れられて、後に山が付けられました(地名の由来を知る事典)。
 山の名前で読み解く日本史によると、清少納言は、「枕草子」の中で「大荒木の森、石田(いわた)の森」など森のつく山をあげ、「1本の木があるだけなのになんで森というのだろう。」と述べています。東北の山の地図などを見て、同じような疑問を持った方も多いと思います。ということは、1,000年近く前の平安時代、清少納言の時代には、すでに森の名がつく山があったことがわかります。また、清少納言も我々と同じように疑問に思いました。地名の由来を知る事典によると、「もり」の地名には、人の住まない山地が森である場合、神の住む裏山を森と呼ぶ場合があります。そういえば、神社のことを鎮守の杜(モリ)といいます
 少なくとも東北地方での「モリ」の山名は、かつて東北地方の日本海側地方にあった「モリノヤマ」信仰に関係あるとされます。それは、死者の魂は集落近くの里山にこもってから浄化され、それから鳥海山のような高い山に登るという信仰です。山は墓というわけです。「モリ」とは、もともと神が降りてくる場所または死者の魂が宿るところですから、必ずしも山とはかぎりません。「モリノヤマ」信仰は、仏教伝来以前の日本民族の信仰に関係しそうです。森は後の当て字です。(山の名前で読み解く日本史)
 北夕森山へは、付知町下浦林道の登山口の標識から登山道があります。外ヶ谷に沿って登ると、ダケカンバが所々にあります。山頂の鉄塔は、戦争中に防空監視に使ったといいます。現在は老朽化のため鉄塔には登れません。
 岐阜県地名大辞典によると、夕森の「夕」は夕立が多いことからだといいます。その意味では気候地名でもあります。(寒陽気山参照)
 明治44年に陸軍陸地測量部により初めて測量された加子母5万分の1図初版によると、現北夕森山または夕森山は当時は飯盛山となっていたようです。(田口達也氏による)
【参考】谷 有二(2002):山の名前で読み解く日本史、青春出版社
武光 誠(1997):地名の由来を知る事典、東京堂出版
角川日本地名大辞典編纂委員会(1980):岐阜県地名大辞典、角川書店

山頂からの井出ノ小路山
【登頂日】1997年9月21日
【標高】1597m
【場所】岐阜県恵那郡付知町
【記録】10:00 登山口 下浦林道標高750m 10:20 水場900m 10:55 外ヶ谷から左へ1100m 12:00 山頂着 13:25 山頂発 14:25 水場 14:50 登山口