観音山の西国33番霊場
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 観音山は、岐阜県最北の町、神岡町にあり、かつては朝浦山といいました。ふもとの洞雲寺の霊場として山中に33体の観音様があります。亨和3(1803)年、洞雲寺玉温和尚は、かつて朝浦山にあった観音様を再建しました。このとき和尚は、村や個人から観音像の寄進を受けました。また、西国33ヶ所の砂を敷き像を設置しました。曹洞宗洞雲寺は、天文19(1551)年、時の領主、江馬氏の創建です。
 山中の登山道には、数十mから数百mの間隔で観音様が安置されています。洞雲寺横のゆるい坂道をすすむと神岡鉄道が平行して通る場所があります。その鉄道のガードをくぐり、朝浦不動の参道から登れます。200mほどで不動様に至り、その右側の畑に上がります。そこから道に沿って登ると第1番の観音様です。林道を横切り、谷を進むと道がはっきりしなくなります。そこで右手の観音様をお参りした後、谷を進まないで5m程度戻って左手を見ると道があります。その道から川を渡って左手の斜面を登ると尾根に出ます。
 その後は、次々に現れる観音様を拝見しながら登ります。18番の観音堂でお参りすると、そこから先には山頂まで観音様はありません。残りの観音様は、18番から北に降りている別の登山道にあるようです。尾根を登りきると、テレビの電波塔がいくつもあり、その先に山頂がありました。山頂の広場には、傘松城という古城の標識がありました。電波塔からは神岡の町や笠ヶ岳や焼岳が、山頂からは流葉山から大洞山に続く山並みが見えました。
 帰りは、観音様の標識を読めるものだけ読みながら降りました。18番 山城国六角堂頂法寺、17番 山城国六波??寺、16番 山城国清水寺−−−−−。観音像は、ほとんどが千手観音でした。千手観音は、千の手を動かしてすべての人々を救うという仏様の大慈大悲の心をあらわしています。当日は、西国のお寺を半日もかからずお参りしたことになりました。(高時山参照

【参考】高原郷土研究会(1980):奥飛騨の石仏、高原郷土研究会
岐阜県山岳連盟(1993):続ぎふ百山、岐阜新聞社
人文社観光と旅編集部(1990):郷土資料事典、人文社

登山道の観音様
【登頂日】2001年7月1日など
【標高】803m
【場所】岐阜県吉城郡神岡町
【記録】14:45 朝浦不動入口(神岡鉄道ガード) 15:20 18番観音 15:40 山頂着 15:50 山頂発 16:05 18番観音 16:40 朝浦不動入口