高時山と木曽越峠
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 加子母村高時山は、木曽越峠の辻(頂)から東の尾根にあります。木曽越の名は木曽義仲が越えたという伝説に由来します。また、加子母から木曽越峠、信州王滝村に抜ける道は、200年以上前の江戸期寛政年間(1789年頃)、御岳登山道として、御岳行者の覚明によって開かれました。加子母村には、御岳登山者のための宿屋が2件あり、多いときにはそれぞれ100人以上の宿泊者がありました。
 嘉永2年(1849年)、この御岳登山道の補修ため、加子母村の内木忠六と王滝村の商人徳左衛門が中心となって寄付を募りました。これによると、「木曽義仲滅亡後は道もすたれたが、近年御岳に参拝する者が多くなった。ところが道が荒れて困難を感じる。修復すれば、米、塩、綿類も安く木曽に入るので、美濃も木曽も潤う。道作りは万人のためなので、米・塩・綿類でもよいから寄付してほしい。」とあります。
 文久2年(1863年)、加子母村を基点に王滝村まで33体の石仏の観音像が安置されました。その発起人は、加子母の林文三郎と付知の庄屋、田口忠左ェ門でした。観音像安置の目的は、道に迷って命を失った人の菩提を弔うためと、道案内として登山者の安全を守るためです。(観音山参照
 高時山へは、加子母村木曽谷の林道に入り、高度計と地図を頼りに堰堤の下から登り始めました。道がとぎれとぎれありました。やがて林道に出たので、しばらく林道を歩くと石仏と水場があり、林道終点にはバイクが1台ありました。ここから再び道無き斜面に取り付き尾根に出ると、尾根には立派な道があります。地元のキノコ取りの人や、渡合温泉から来た登山者に会いました。度合温泉側からはもう少し道がはっきりしているそうです。山頂からの展望は良くありませんが、樹間から、御岳、小秀山、北夕森山、井出小路山が見えました。
【参考】徳久球雄(1991):コンサイス日本山名辞典、三省堂
加子母村誌編纂委員会(1972):加子母村誌、加子母村
美濃の峠調査会(1999):「美濃の峠」調査報告書、岐阜国道工事事務所
 

峠の頂にある石仏
【登頂日】1997年10月10日
【標高】1563m
【場所】岐阜県恵那郡加子母村
【記録】10:50 木曽谷林道730m地点(加子母側堰堤下) 11:40 上の林道 1130m 12:00 林道終点 1200m 12:20 尾根(登山道)1260m 13:06 山頂着 1560m 14:42 山頂発 15:15 木曽越峠着(辻)1250m 15:20 木曽越峠発 15:28 上の林道 1160m 15:35 上の林道(11:40地点、下へ) 16:05 木曽谷林道着