日永岳と日屋嶽
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 山県郡美山町の北方、奥まったところに日永岳があります。その山名は、東方にある板取川流域から望むと一番永く日が当たっていることに由来するといわれます。(コンサイス日本山名事典)(寒陽気山参照
 また、美山町日永(村)に関して、江戸時代の濃州徇行記に次の記述があります。「日永村は元は日屋村といったが、名前の縁起が悪いとして日永村に名を改めた。ただし、近くの日屋洞の名はそのままである。日屋洞の奥を日屋嶽といい、その先に行くと御料神崎村に出る。」
 日置(ひおき)の地名は、6世紀頃、日置造(みやつこ)の所領にちなむともいいます。日置造は、暦をつくりまつりの吉日を占う人々でした。日本各地に日置の地名があります。(地名の由来を知る事典)
 現在の日永岳は神崎のさらに北の山ですから、濃州徇行記でいう日屋嶽と同一の山とはいえません。しかし当時、測量地図はなく、地図上の位置関係が曖昧だったので、本来日屋洞の背後にあるとされた日永岳がいつの頃からか、日当たりの意味が入って神崎の北の山名として生き残ったのかもしれません。ちなみに、濃州徇行記より年代が60〜70年後の新撰美濃志では、日永村の北(日屋洞の背後)の山のとして、茶磨山(ちゃうすやま)、兒山(こやま)をあげており、日屋嶽や日永岳の名はありません。
 以上から推測して、集落名が日屋村から日永村に変わったため、日屋嶽はいつのころからか日永岳の名になった可能性を考えます。そして現在は、神崎の北の山が日永岳になっています。
 日永岳をめざし、瀬見峡の神崎川をさかのぼりました。ガッパ谷の林道の車止めの前に車を置きました。急登の登山道を行くと、やっとで反射板のある頂上に着きました。頂にはシャクナゲが多く、御岳、乗鞍、能郷白山、伊吹山が見えました。濃尾平野はもやの下でした。
【参考】徳久球雄(1991):コンサイス日本山名辞典、三省堂
樋口好古(1800頃):濃州徇行記、大衆書房(復刻版)
岡田 啓(1860):新撰美濃志、大衆書房(復刻版)
武光 誠(1997):地名の由来を知る事典、東京堂出版
 

日永岳山頂の反射板
【登頂日】1998年10月4日
【標高】1216m
【場所】岐阜県山県郡美山町
【記録】13:00 ガッパ谷車止め 13:25 林道終点 14:15 イタゴ洞分岐 14:30 山頂着 15:40 山頂発 15:53 洞分岐 16:12 林道終点 16:35 車止め