円空上人の霊場だった十石山
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 石(こく)という単位は、人間が1年間に食べる米の量を基準としています。1石は、約1000合です。代情山彦著作集によると、十石山について、大正の末頃、乗鞍頂上室堂の堂守(七郎衛門老人)の話として次のように書いてあります。
 「硫黄が満ちているので、地獄岳と呼んでいたところ、役人が聞き間違えて、十石岳(山)となってしまった。円空上人が貞亮年間、乗鞍岳で密行したときの霊場が5カ所あり、そのひとつが十石岳である。峰から降りた所に、円空上人が持っていた大聖歓喜天の本尊が積み石の石室に祀ってある。この聖天様は、円空が相愛の女性に先立たれた後、出家して天台宗の坊様になったのだが、肌身離さず持っていたものだ。」
 十石山の山ろくの街道といえば、岐阜県・長野県境の安房峠ですが、江戸時代やそれ以前の安房峠は、安房山の北側を通る現在の道路とは異なり、安房山の南側、つまり十石山と安房山の間の鞍部を通っていました。
 戦国時代には、武田信玄が飛騨攻めの時、安房峠を使っており、かつて飛騨と信州の間で米や物資の移送があったようですが、江戸時代の後半には峠の使用はすたれて、平湯にあった口留番所も閉鎖されました。
 安房峠とは別に、十石山を十石峠ともいいます。その名残として、山頂の避難小屋は、十石峠避難小屋といいます。ふもとの白骨温泉から山頂を越えて、飛騨側の平湯へ道がつながっていたからでしょう。
 この十石山へは、長野県白骨温泉から道がありますが、平湯から平湯尾根、金山岳経由で登りました。乗鞍登山道である平湯尾根登山道は、近年整備され道標もしっかりしていました。途中、白猿の池などがあります。稜線まで登りきると乗鞍権現社があり、眼前に乗鞍岳が大きく見えます。この稜線を乗鞍方面とは逆に東へ約1時間たどると十石山です。この間は、やせ尾根でガレ場があることから、最近の登山地図では登山道が記されていません。しかし、乗鞍権現社の横には、十石山方面を示す道標があり道もありました。登山道の整備状況はあまりよくないので、天候の悪い時など、ガレ場では注意が必要です。十石山の山頂部は広くて、立派な避難小屋がありました。天候が良ければ穂高や乗鞍の絶好の展望台です。
【参考】
代情山彦(1981):代情山彦著作集、統計印刷工業
十石山山頂部と十石峠避難小屋
【登頂日】2008年7月21日
【標高】2525m
【場所】岐阜県高山市奥飛騨温泉郷
【記録】7:50 平湯大滝入口駐車場 9:25 1870m三角点 10:03 白猿ヶ池 11:12 水場(水は涸れていた)着 11:20 水場発 12:08 乗鞍権現着 12:15 乗鞍権現発 12:45 金山岳 13:30 十石峠避難小屋着 14:00 避難小屋発 14:13 十石山三角点 15:00 金山岳 15:23 乗鞍権現着 15;27 乗鞍権現発 16:01 水場着 16::06 水場発 16:28 白猿ヶ池 16:41 三角点 17:20 平湯駐車場着