鷲ヶ岳と鷲退治
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 鷲ヶ岳は、鷲退治の伝説の残る山です。今からおよそ870年前、承久3(1221)年7月、天皇の命を受けた藤原頼保は、兵34人とともに美濃国の雲ヶ岳(鷲ヶ岳)で大鷲2羽を退治しました。また頼保は、鷲の子2羽を生け捕りにして天皇に献上したところ、鷲見の家名と鷲見郷8ヶ村を賜りました。(高鷲村史)
 また村史によると、永暦元(1160)年、頼保が向鷲見神社に社領二石二斗余寄進したことがわかっています。源頼朝は、諸国に地頭を置くにあたり頼保を地頭に任じました。
 鷲見川の上流、立石キャンプ場から林道に入ると、立石という細長く突き出た巨石があり、その看板には次の説明がありました。
 「すみの立石」は、「霊鷲岩」とも言い、里人は山神様として畏れ不浄の者は近づけなかった。立石は自然崇拝の遺跡であり山の神崇拝の象徴であった。天明年間(1781年)に郡上藩の学者、江村北海が、その著書に立石付近の景色を紹介している。
 立石からの林道は、どんどん高度をあげて、林道工事の手前まで来ると、そこは「いっぷく平」で、藤原頼保の顕彰堂がありました。そして林道工事の音がしていました。ここまで自動車で来ると頂上へは45分ほどで登れます。少しものたりない感じもしました。
【参考】山川新輔(1960):高鷲村史、高鷲村役場

鷲退治の顕彰堂(いっぷく平)と鷲ヶ岳
【登頂日】2004年9月20日
【標高】1672m
【場所】岐阜県郡上市高鷲町
【記録】10:40 いっぷく平 11:25 山頂着 12:30 山頂発 13:05 いっぷく平