飛騨の立山と細尾(やせお)峠
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 飛騨の立山は、益田郡小坂町、朝日村の鈴蘭高原の一角を占めます。本場の富山県立山は、古くは「タチヤマ」といい、そびえ立ちたる山、切り立ちたる山の意で、天を突いてそそり立つ岩山のイメージがそのまま山名になりました(立山と白山)。
 ところが飛騨の立山は、鈴蘭高原からはなだらかな突起にすぎず目立つ山ではありません。地図上でも山頂付近はなだらかな感じです。特に立山信仰に関するわけでもないようです。
 この疑問は、鈴蘭高原から舗装林道を阿多粕谷(あたがすだに)に降りて解けました。鈴蘭からはなだらかな山も、阿多粕谷からは、すくっとした三角峰の立山でした。
 阿多粕谷には昔の官道がありました。つまり、飛騨川から阿多粕の谷に入り、今の鈴蘭高原を越えて朝日村一之宿に通じる細尾峠(やせおとうげ)がこの官道です(日本に名所が又一つ)。江戸期の飛騨国中案内にも、「阿多粕村より秋神のうち、西洞村へ行道あり。字【やせ尾】という。この間三里半有り」との記述があります。細尾峠(やせおとうげ)の街道筋から見た山容から、立山と呼ばれるようになったと推測します。
 なお、立山の山頂直下の林道には玄武岩がありました。御嶽山地域の地質によれば、鈴蘭高原玄武岩という溶岩が流れて固まり、なだらかな小起伏面、つまり鈴蘭高原をつくっています。この岩石の年代は新生代鮮新世(約200万年前)です。このような玄武岩は東濃から飛騨南東部に所々分布しています。複数の噴火口(地形には残っていない)があって、60万年くらいの時間間隔の中で活動したと推定されています。
 玄武岩は、粘性の小さい溶岩が冷えて固まった黒っぽい岩石で、海洋性火山で多い溶岩です。またここの玄武岩は、年代的に考えても、御嶽火山の噴火(数10万年前から現在、安山岩)とは別のものです。
 立山へは、地図でもわかるように、鈴蘭高原の別荘地から簡単に山頂に立てます。河合塾の山荘から、電波塔まで舗装道路を歩き、電波塔の裏の稜線上の刈払道を登ります。広い山頂部で、道は不明瞭になりますが、北側に進めば三角点が発見できます。山頂部は、カラマツ、ヒノキ、コナラが切り残してありました。ササは、ミヤマクマザサ、一部イブキザサでした。
【参考】広瀬 誠(1971):立山と白山、北国新聞社
久保田四郎(1932):日本に名所が又一つ、小田垣印刷所
上村義満(1746):飛騨国中案内、大衆書房(復刻板)
山田直利・小林武彦(1988):御嶽山地域の地質、地質調査所
山頂付近から川上岳(左)と船山(右)、手前斜面下は阿多粕谷
【登頂日】2003年9月28日
【標高】1445m
【場所】岐阜県大野郡朝日村(小坂町)
【記録】】12:35 鈴蘭高原 12:40 電波塔(稜線を歩く) 12:55 山頂着 14:00 山頂発(北側の林道に降りる) 14:20 自動車