笈ヶ岳と修験道
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 笈とは、勧進帳の山伏が背負う守護神や仏体、経文を入れる足の着いた箱のことで、笈摺りとは、巡礼が衣服の上に着る羽織に似たものです。(岐阜百山) 笈ヶ岳は、修験道の山で、泰澄上人が白山の遥拝所として開いたといわれます。(日本山名辞典)
 この山は、深田久弥の「日本百名山」の後記で有名になった山です。そこには、「北陸では、白山山系の笈岳か大笠山を是非入れるつもりであった。これは私のふるさとの山としての身贔屓ばかりでなく、こんな隠れた立派な山があることを世に吹聴したかった。しかしまだ登頂の機会を得ないので遺憾にも割愛した」とあります。
 その後、深田久弥は念願の笈岳(笈ヶ岳)」登山を果たしました。その登山記の中で、「明治38年、三角点を設けるため、陸地測量部員が笈岳に登ってみると、前人未踏と思われていた頂上に、経筒2個、和鏡、太刀、黄金仏、木仏、ヤジリ、法螺貝などを発見した。その経筒の一つには、永正15年(1518年)の年号が入っていた。笈岳へその当時はかなりの人が登ったのかもしれない」と述べています。深田久弥は、1968年5月10日、石川県側から冬瓜平経由で登ったようです。
 笈ヶ岳へは、残雪を利用して白山スーパー林道から三方岩岳経由で登りました。途中瓢箪山で幕営しました。ここから国見岳まではおおらかな稜線でしたが、仙人窟岳の前後の稜線が細くて雪庇もありました。特に仙人窟と笈の間のコルは傾斜も急で、アイゼンとピッケルで足場を作りながら通過しました。緊張を要します。石川県の中宮温泉側は比較的安全なようで、そちらからは多くの登山者がありました。
【文献】岐阜県山岳連盟(1975):岐阜百山、岐阜日日新聞社
徳久球雄ほか(2004):日本山名辞典、三省堂
深田久弥(1964):日本百名山、新潮社
深田久弥(1999):百名山以外の名山50、河出書房新社
笈ヶ岳(左)と大笠山(右)
【登頂日】2011年4月29日〜4月30日
【標高】1841m
【場所】岐阜県大野郡市白川村
【記録】(4月29日)10:00 白山スーパー林道ゲート 12:00 林道カーブ(ここから林道を歩く) 13:30 林道をもどって1471峰北尾根を登る 16:00 三方岩岳 17:20 瓢箪山(幕営地) (4月30日)6:05 瓢箪山 6:35 国見山 8:30 仙人窟岳 10:35 笈ヶ岳山頂着 10:50 山頂発 12:40 仙人窟岳 15:00 瓢箪山着(幕営地) 15:25 瓢箪山発 16:35 三方岩山 17:50 スーパー林道休憩所(ここから林道歩き) 19:20 白山スーパー林道ゲート