池ノ山と神岡鉱山
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 池ノ山は、神岡鉱山の山であり、現在はニュートリノ観測(カミオカンデ)の山として知られます。神岡鉱山は、鉛・亜鉛などの非鉄金属鉱山として、東洋一の産出量をほこりました。しかし、時代の流れとともに採算が合わなくなり、平成13年に、精錬工場を残して閉山しました。鉱山の歴史は、戦国の飛騨領主、金森長近につかえた茂住宗貞に始まります。宗貞は、金山奉行として、高原川筋の鉱山開発を行いました。神岡鉱山からの金銀の産出は、しだいに減りますが、代わりに鉛・亜鉛を産出するようになりました。明治以降、三井金属の資本が入り、鉱山は発展しました。(神岡町史自然編)
 カミオカンデは、神岡鉱山の廃坑(茂住坑)を利用し、池ノ山の下、1000mの場所にできた施設です。地下のタンクに3000tの純水を満たし、宇宙から飛来するニュートリノを観測しようとするものでした。ニュートリノは、地球を簡単に通り抜ける素粒子で、質量があるかないか不明でした。しかし、まれに水分子と衝突すると弱い光がでます。これを観測することによって、ニュートリノに質量があることが実証できたとされ、平成14年に小柴昌俊氏(東大名誉教授)が、ノーベル賞を受賞しました。ニュートリノにわずかでも質量があることは、宇宙の構造や歴史を探る上で重要な意味を持ちます。(神岡町史自然編)
 さて、江戸期の飛騨国中案内を読むと、「茂住銀山町、銀山御番所、銀山蔵、字は池ノ山という鉛山がある」など、江戸期の鉱山の様子が伺えます。
 池ノ山の名は、山頂の肩にある本池に由来します(続ぎふ百山)。山頂へは、長棟林道や大津山からの記録がありますが、岐阜県の跡津川から登りました。稜線まで急斜面の直登で、やぶこぎですが下草はあまり深くありません。稜線は、刈り払いがしてあり、所々わかりにくい場所がありました。山頂直下には、鉱山の「ずり」が残っていました。
【参考】上村義満(1746):飛騨国中案内、大衆書房(復刻板)
岐阜県山岳連盟(1993):続ぎふ百山、岐阜新聞社
神岡町史編纂委員会(2007):神岡町史自然編、神岡町
山頂から山ノ村(右:天蓋山、左:桑崎山)
【登頂日】2007年5月3日
【標高】1369m
【場所】岐阜県飛騨市神岡町茂住
【記録】9:30 跡津川 12:05 林道(地震観測) 12:25 歩道入口(県境) 13:05 山頂着 14:05 山頂発 14:30 歩道入口 14:35 林道(地震観測) 15:45 跡津川(自動車)