日照岳と福島歩危
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 日照岳は、御母衣ダムの湖畔から登る山です。その名は、荘川の里の北端にあり、村の中でも一番早く日が当たるためだといいます(岐阜県山岳連盟)。斐太後風土記にも、尾上郷村の項に、日照谷の名がみえます。この谷は、現在の国土地理院の地図にも、日照岳の南面の谷としてその名があります。(輝山参照)
 斐太後風土記によると、今は御母衣湖となっている付近は、福島歩危とよばれ、岩山の絶壁を割って路がつくられていました。歩危路(ほきじ)とは険しい路のことで、後風土記は、国内にも比類無き険難の歩危路だと述べています。飛騨のあちこちの保木という地名は、かつて険しかった路の名残です。福島は、湖底に沈んだ集落の地名で、日照岳の北にある福島谷にその名が残っています。
 日照岳へは、768mの標高点のある場所からの送電線の巡視路から登りました。3つの送電線を過ぎると、白銀の世界になりました。御母衣湖を眺めながら高度感のある尾根を登ります。巡視路は途中まであるようですが、上部はヤブこぎとなるので、やはり雪の残っている時期に登る山です。ブナ林の上にある山頂部は平原になっていて、白山をはじめ展望はほしいままでした。帰りに、荘川の道の駅付近から振り返ると、日照岳が正面によく見えました。
【参考】富田礼彦(1873):斐太後風土記(上巻)、雄山閣(復刻版)
岐阜県山岳連盟(1975):ぎふ百山、岐阜日日新聞社
1645ピークから山頂
【登頂日】2005年4月17日
【標高】1751m
【場所】岐阜県高山市荘川町
【記録】10:15 御母衣湖 10:45 上の鉄塔 12:50 小ピーク 13:20 山頂着 14:00 山頂発 14:25 小ピーク 15:20 鉄塔 15:40 御母衣湖