福地山と無然平
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 平成16年、奥飛騨福地温泉から、福知山への登山道が開設されました。幅の広い快適な登山道です。福地山は、地図では無名峰で、同地域の地質図では空山の名が当てられていました。山頂は、槍、穂高連峰の正面であり、晴れていれば絶景が約束されます。「奥飛騨の山と人」によると、福地(ふくぢ)とは、湯が吹き出る土地の意味です。
 福地山登山道の途中に無然平があります。兵庫県生まれの篠原無然(しのはらぶぜん)は、大正3年、上宝第一小学校の先生となり、翌年、平湯分教場に赴任しました。27歳の若さで、望んで山間地域の社会教育に打ち込みました。しかし、大正13年、長野県から雪の安房峠を越え平湯を目指したとき、寒さと疲労で遭難死亡してしまいました。安房峠には昭和35年につくられた慰霊碑があります。無然のつくった歌、「飛騨青年の叫び」には、「ああ偉なるかな飛騨の山、ああ美なるかな飛騨の渓、ああ清きかな飛騨の水。」とあります。山が好きだった無然らしい詩です(飛騨の山と人)。
 無然平には無然の石像があります。その碑文によると、無然は無然平に小屋を作り、ここでしばしば瞑想したようです。
 福地山はまた化石の山でもあります。登山口から無然平までは、かつてのサンゴ礁をつくっていた石灰岩が落ちています。その石灰岩には、たいてい古生代の化石が含まれています。それは、ウミユリ、フズリナなどですが、フズリナは比較的見つかります。近くのオンブ谷(立入禁止)では、日本列島最古(約4億8千万年前)とされる古生代オルドビス紀の化石も見つかっています(アースウオッチングイン岐阜)。
 このような熱帯サンゴ礁の岩体が内陸部にある理由は、ベルトコンベアのように動く(年数cm程度)海底にサンゴ礁が乗り、内陸に取り込まれたためです。プレートテクトニクス理論では、このような石灰岩の岩体をを付加体といいます。付加体によって、日本列島の地質がモザイクのようになっていることを説明できます。下山したら、近くの昔話の里化石館を見学すると良いでしょう。
【参考】岐阜県山岳連盟(1965):奥飛騨の山と人、第20回国体上宝実行委員会
県高校地学教育研究会(1995):アースウオッチングイン岐阜、岐阜新聞社
山頂から槍・穂高連峰
【登頂日】2006年10月9日
【標高】1651m
【場所】岐阜県高山市奥飛騨温泉郷福地
【記録】8:33 福地化石館前 9:36 無然平着 9:36 無然平発 10:00 第2展望台 10:30 山頂着 11:33 山頂発 12:06 無然平 12:50 福地化石館(自動車)