烏帽子岳と天正大地震
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 烏帽子岳は、庄川支流、一色川源流の山であり、分水嶺の山でもあります。一色川はゆるやかな流れで、まるで上高地の梓川のようです。一色側の周囲には、西に鷲ヶ岳、東に烏帽子岳とオサンババ(兎ヶ馬場)があり、この3つを、荘川三山ということがあります。
 斐太後風土記によると、文明年中(1470年頃)、一色義直(室町幕府の足利家四職の一族)が、一色を開墾して居住したという伝承があります。また、天正13(1586)年の天正大地震のときの山体崩壊が起こり、一色村の二十数戸の村落が埋没したともいわれます(飛騨春秋)。一色赤崩(現一色スキー場意入口)には、慰霊碑があります。天正大地震では、烏帽子岳の向こう側、美濃郡上の水沢上(みぞれ、明宝スキー場付近)でも、山体崩壊があり、生き残ったのは老婆1人だったといいます。この地震では、白川郷帰雲山の大崩壊が有名ですが、被害範囲は、美濃飛騨にとどまらず京の都にもあり、謎の地震です。
 烏帽子岳には、一色川をさかのぼり、標高1200m付近から尾根を伝って登りました。やぶこぎです。稜線に登ると踏み跡があったので、そこを南下すると、山頂三角点でした。山頂付近は広く刈払いが行われ、三角点の南方は、幅2mほどの抜開道が延びていました。最近伐開されたようです。現在、烏帽子岳の南方から道がつけられていると思われるので、抜開道の情報を調べれば楽に登れると思います。
【参考】富田礼彦(1873):斐太後風土記(上巻)、雄山閣(復刻版)
坂部和夫(2004):天正地震時の飛騨白川郷荘川村における大規模山体崩壊について、飛騨春秋
尾根から鷲ヶ岳を望む
【登頂日】2006年9月30日
【標高】1625m
【場所】岐阜県高山市荘川町一色
【記録】10:02 尾通橋(一色国有林ゲート) 10:50 一色林道1200m地点(スギ植林地へ) 11:28 涸れ沢から右の尾根に入る 13:18 主稜線 13:37 山頂着 14:10 山頂発 15:37 林道 16:08 尾通橋(ゲート、自動車)