赤谷山とダムに沈んだ村
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 高山市荘川町の赤谷(あかだに)は、かつて庄川上流部の村でしたが、御母衣ダムの湖底に沈んだ村のひとつです。赤谷の名の由来は、大倉山から出る谷水が赤く濁っていたためで、金山を掘るとさらに水は赤くなったと伝えられます(斐太後風土記)。近くには、戦国時代から六厩金山がありました。
 赤谷山は、その赤谷の東にある山です。地図では、御母衣湖畔から歩道が山頂まで記してあるので、地図を頼りに登ることにしました。林道の900m地点から斜面が崩れているので、そこに自動車を置き歩きました。やがて林道が終点となり、スギの植林地の作業道を登りました。尾根を登り始めると、道がわからなくなり、踏み跡をたどりながら、稜線に出ると、境界の仮払いの名残がありました。時々、白山や三方崩山、日照岳等が見えました。誰も来ないらしく、三角点付近は、仮払いもしてありません。まわりは、ブナやナラに囲まれていました。下山は、尾根から降りるところで道がわからなくなりましたが、磁石と地図を利用して、なんとか自動車にたどりつきました。
【参考】富田礼彦(1873):斐太後風土記(上巻)、雄山閣(復刻版)
山頂付近からの白山
【登頂日】2007年6月2日
【標高】1634m
【場所】岐阜県高山市荘川町赤谷
【記録】8:35 林道900m急カーブ(自動車) 9:45 林道終点 10:35 稜線から90度尾根取り付き 11:40 山頂着 12:45 山頂発 13:45 取り付き 15:50 自動車