寺田小屋山と乗政温泉
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 寺田小屋山は、下呂町乗政の背後にある山です。乗政林道のゲート前に車を置き、林道を30分ほど歩くと登山口標識があります。山頂には、かつて鉄塔が林立していましたが、現在はありません。山頂付近のササは、熊笹の仲間、イブキザサです。
 乗政には、江戸時代から浴場(湯屋)があり、今はこれを乗政温泉といいます。乗政温泉は、冷泉で湯屋とも呼ばれました。湯屋の由来は益田郡誌によると次のようです。寛政2,3年(1790〜1791年)頃、地元の、乗寄嘉之吉が、乗政冷泉を使って粥を煮て食べたら、栃の粥のようにおいしかったといいます。また、沸かし湯にして入浴すると、冷えによる多くの病気に効能があったので、嘉之吉は浴場の設備をつくりました。嘉之吉死後、天保10年(1839年)頃、古田幸太郎が続いて浴場を経営しました。浴場は宿泊できるようなものではなかったようです。そこで、明治元年(1868年)に米野安右衛門が鉱泉の脇に湯宿をつくって入湯者の便をはかったので、幸太郎のほうの浴場は廃業しました。湯宿は現在、米野旅館として存続しています。明治37年(1904年)には、河村市太郎(最初に浴場をつくった乗寄嘉之吉の曾孫)が湯屋を開業しました。
 岐阜県の名湯・秘湯によると、別に次のような話もあります。湯好きで有名な、苗木(現中津川市)の殿様が、胃を患い乗政冷泉に浴してみました。すると、効果はてきめんだったので、鉱泉の横に湯宿をつくることを提案しました。そしてできたのが今の米野旅館の元です。それまでは、山の斜面から湯男が鉱泉を運んで沸かしていたといいます。寺田小屋山の名の由来はよくわかりませんが、ふもとに乗寄嘉之吉の湯屋(小屋)があったことに関係しているかもしれません。
【参考】益田郡役所(1916):岐阜県益田郡誌、益田郡役所
朝日新聞岐阜支局(1990):岐阜県の名湯・秘湯、郷土出版社

山頂からの御嶽山
【登頂日】2002年6月2日など
【標高】1505m
【場所】岐阜県益田郡下呂町
【記録】13:15 乗政林道ゲート 13:30 林道から山道へ 13:45 再び林道(登山口標識) 14:20 山頂着 15:05 山頂発 15:45 登山口標識(ここから林道) 16:00 林道ゲート