丹沢山(1673m) |
---|
2001年11月23〜25日 天候:晴れ
神奈川県秦野市
|
|||
![]() 塔ノ岳山頂で |
|||
11月23日、大倉から「風のつり橋」を渡って赤い夕日の中を松田さんと歩く。あたりは紅葉がみごろだ。うす暗くなるころ戸沢山荘に到着。付近にはキャンプ場がある。「今晩、2人泊めてもらえますか。」と小屋のおかみさんらしき人に聞くと、「いいとこきたね。うちは、今日は忘年会と米寿の祝いの会。それでよかったらどうぞ。」とのことだった。さらに、「お酒飲めますか。今日は飲み放題ですよ。」−−−。「もちろんOKです。」と答えてしまった。もう、宴会の準備ができているようだ。人数は12人くらい。さっそく宴会が始まる。この小屋のおばあさんが米寿だということで記念品が送られる。その後、みんなで自己紹介する。 この宴会のメンバーは、「丹沢の緑の基金」という会だった。今日、草刈をした後ここに集まったそうだ。メンバーは、夏には丹沢に草の種をまいて、丹沢の緑を守る活動をしている。主催者は、真中の神奈川県山岳連盟の加藤さんという方だ。みんな山の話で盛り上がる。丹沢の小屋の主人の中に、1年以上、下界に降りていないおじいさんがいるという話を聞く。お酒はほんとに飲み放題で、ひれ酒が何回も回ってくる。八海山という新潟のお酒ももらう。料理もさしみやアスパラガスなどおいしいものばかりだった。思いがけず楽しい一晩になった。飛び込みなのに、宴会に加えていただき、感謝の気持ちでいっぱいになる。お酒をあまり飲めない松田さんも少し飲んだようだ。 翌24日、小屋でコーヒーとみかんをもらって出発する。政次郎尾根を登り主稜線に着くと、白く雪をいただいた富士山が大きく見える。以降、富士山を眺めながらの山行となる。塔ノ岳では、学生時代に登ったときと同じく大展望を満喫する。葉が落ちていて、登山道の日差しは明るい。丹沢山から蛭ヶ岳に進むと、学生時代の記憶がときどき蘇る。稜線はブナ林で柵がしてある。この柵は、標識によるとニホンジカから稜線のブナや植生を守るためのようだ。 蛭ヶ岳に着くと、やはり大展望。昔登ったときと比べ、今は南アルプスの山々や八ヶ岳も識別できる。急斜面を降りて、学生時代に登れなかった檜洞丸をめざす。けっこう尾根がやせているので気をつける。 午後4時に檜洞丸の青ヶ岳山荘に着くと、小屋の壁を修理していた。檜洞丸山頂では、富士山に沈む夕陽を眺めることができた。山荘での夕食では、富士山の見える山から富士の写真を撮っているという人と話をする。福井県の人だった。夕食はおいしいなべ物だ。この連休にボランテアで小屋を修復しているそうだ。 25日、朝早く起きて、山頂からご来光を拝む。小屋で朝食をいただいて出発。檜洞丸山頂から、北側におりて神ノ川ヒュッテを目指す。ブナ林を下るとやがてヒノキの植林地になり、足がガクガクになるころヒュッテに着く。ここでバスの時刻を聞いて2時間林道歩きをすることになる。歩いていると、後ろから来た自動車が止まった。それは先ほどのヒュッテの主人だった。東野のバス停までなら乗せてもらえるとのこと。ありがたく自動車に乗せてもらう。 ヒュッテの主人は蛭ヶ岳山荘のオーナ−だそうで、檜洞丸や蛭ヶ岳の名の由来を教えてもらう。オーナーから「また丹沢へどうぞ。」といわれ、お礼をして自動車から降りる。相模湖に置いてあった自動車で中央高速から帰る。今回の丹沢は、様々な人と会った思い出深き山行だった。 |