飯豊山
(2128m)
各地山行目次

2009年8月15日〜18日 天候:晴れ

福島県山都町

(8月17日)6:00 御西小屋発 6:40 玄山道分岐着 6:50 分岐発 7:10 駒形山 7:30 飯豊本山山頂着 8:05 山頂発 8:20 本山小屋着 8:30 本山小屋発 9:15 姥権現着 9:25 姥権現発 9:40 草履塚着 9:50 草履塚発 10:20 切合小屋着 11:00 切合小屋発 12:40 三国岳小屋着 (8月18日)6:05 三国岳小屋 6:25 剣ヶ峰 6:55 分岐 7:10 水場 7:40 横峰小屋跡 8:10 上十五里 9:05 登山口(林道)着 9:15 林道発 9:47 川入バス停(自動車)      

飯豊本山
 (8月17日)本日も快晴。緑の草原を飯豊本山に向かう。ゆっくり登りきると、山頂には5,6人の人がいる。360度すばらしい眺めだ。風が少し強い。これまで登ってきたルートが見える。大日岳はもちろん、磐梯山、大朝日、月山、鳥海山らしき山も見える。
 本山小屋でバッジを買い、急坂を下りる。草履塚を登り返し切合(きりあわせ)小屋まで行き、少し休む。缶ビールを買って飲む。小屋は広い尾根の中にある。ここから種蒔山をすぎると岩稜になる。鎖場もあり注意しながら行く。だんだん雲が出てくる。
 三国小屋は三国山の山頂にあった。小屋の前で、昼食のラーメンを作っていると、小屋の主人が来て話しをする。まずは、飯豊連峰の開拓者、藤島玄の話。御西小屋と飯豊本山の間にあった玄山道とは、藤島玄からきているそうだ。また、近くにある疣岩(いぼいわ)山の名前の由来は、藤島玄の本によると、凝灰岩の中の小石が疣のように見えることから来ているらしい。これまで稜線は花崗岩であったが、小屋の付近や前の石も凝灰岩で確かに疣のような小石が入っている。疣を「いぼ」と読める人はなかなかいないそうで、これを読めた松田さんは、小屋の主人からほめられ、まんざらでもない様子だ。
 そして登山者の話を聞く。ここは食事を出さない小屋なのに、バテテ登ってきて、食事も何も持って来ないお客がいて困った話。疲れてもいるし本日は、ここで泊まることにする。小屋の2階で本を読んだり昼寝をする。松田さんは、太宰治のお伽草子、自分は藤原正彦の随筆を読む。静かな時間が流れる。
 夕方になってから、関西から来たという60〜70歳くらいの夫婦が小屋の2階に登ってくる。管理人は、「ここはそうゆう小屋でない」と言っている。夫婦は、「個室がないか、お湯が欲しい、食事が出ないか」などと聞いているらしい。さっき管理人が言っていた登山者の話と同じなので内心笑ってしまう。親切な管理人は、お湯を持って来ることを約束する。奥さんがお金を払おうとするが、管理人はこれは売り物でないからと断っている。夫婦は下山後東山温泉を予約してあるようだ。結局、別の4人くらいのグループの人達がもう下りるからと、夫婦に食事を提供する。
 しかし、関西の夫婦は、面白い人達で、もう深田百名山のうち97山も登ったそうだ。先週は、この前遭難のあったトムラウシなど北海道の山をいくつか登ったという。明日は、飯豊本山を往復して下山する予定だそうだ。食事を提供したグループの人たちは、外で雑談しながら、少し無謀な計画だからと2人に言っている。夕方、小屋の主人に日本酒をもらう。
 (8月18日)最終日、やはり快晴。自動車を置いてある川入めざして下山する。途中の剣が峰までは両側が切り立つ岩場である。松田さんは、高所恐怖だそうで、もどって別の所から下りたいような感じだ。なんとか岩場を通り過ぎ、水場に来ると、登りの人たちと会う。
 ここからひたすら長坂を降りる。だんだんブナ林になる。登山口の大杉から林道を歩く。キャンプ場を越して行くと川入のバス停があり自動車が無事だった。「いいでの湯」に入ってほっとする。