飛騨の匠と籾糠山
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 飛騨河合村と白川村の境界にある天生峠(あもうとうげ)。ちょこんと尖った籾糠山へは天生峠から登ります。 籾糠山の名は、飛騨の匠のルーツ「鳥(とり)仏師」に関係しています。河合村の伝説によると、鳥は神通力で木彫りの人形に魂を入れて水田を耕作させました。秋には臼で籾をすり、玄米と籾糠を風で分けたところ、籾糠が毎年うず高く積もって籾糠山になりました。
 伝説の鳥とは、飛鳥時代、都から木材調達のため、飛騨にやってきた帰化人と地元の娘・信夫(しのぶ)の間にできた子でした。その子は都に上って仏師・鞍作鳥(止利)になりました。そして、推古天皇の御世31年(623年)、法隆寺の有名な釈迦三尊像の制作を命ぜられました。また天生湿原は、匠屋敷とか田形とか呼ばれ、鳥の住居と田んぼの跡といわれます。他に、信夫(しのぶ)はたいへん醜い娘で、川に映る月をすくって飲んだら、鳥を身ごもったという伝説もあります。河合村月ヶ瀬はこの伝説にちなんだ地名です。
 一方白川村のほぼ同じ内容の伝説では、鳥にあたる人物は山姥の子でした。その子が飛騨の甚五郎(左甚五郎)となりました。左甚五郎は、江戸時代の初期に数々の有名な彫刻を残したとされる人物で、実在したかどうかはわかりません。全国的に有名な代表作は日光東照宮の眠り猫などです。左甚五郎の名は左ききであったためといいますが、飛騨では飛騨の甚五郎のことです。鳥仏師も左甚五郎も「飛騨の匠」の流れをくむことは同じです。
 籾糠山には、天生湿原を越えて行く登山道があります。天生湿原には、飛騨の匠を祭る匠堂があります。籾糠山の山頂からは、剣、立山、薬師、北之俣、黒部五郎、水晶、槍、穂高、乗鞍、御岳−−−と、北アルプスのほとんどの山が見えるといっても過言ではありません。反対側は猿ヶ馬場山が大きく鎮座しています。また、山頂の少し下からは、笈ヶ岳と大笠山がならんで見えます。地元のボランテァにより、籾糠山から猿ヶ馬場山の間に、新しく登山道を作りつつあるという話しも聞きました。
【参考】小島幸男(1983):飛騨百景、高山市民時報社
岐阜県小中学校長会(1970):美濃と飛騨のむかし話、岐阜県校長会館事業部
岐阜県山岳連盟(1975):ぎふ百山、岐阜日日新聞社
西野機繁(1972):白川郷の伝説と民話、白川村観光協会 

籾糠が積もってできたという籾糠山の山頂部
【登頂日】2001年9月29日
【標高】1744m
【場所】岐阜県吉城郡河合村
【記録】9:10 天生峠駐車場 10:10 木平湿原コース合流 10:50 山頂着 12:20 山頂発 13:10 木平湿原コース 13:35 木平湿原 14:10 谷コース合流 14:20 匠堂着 14:30 匠堂発 14:50 駐車場