東日本の沢地名と西日本の谷地名
縄文晩期から弥生前期の文化圏  山の雑話目次


穂高岳(岐阜県側の滝谷)

穂高岳(長野県側の涸沢)
 山の地形図を見ると、東日本の山は〜沢、西日本の山は〜谷の地名であることに気づきます。これらの地名を仮に谷・沢地名とします。その東日本と西日本の地名の境界は飛騨山脈です。ただし、飛騨山脈は境界であるために谷沢地名が西の岐阜県・東の長野両県とも入り乱れています。また、沢地名は飛騨山脈以西には無いのに対し、谷地名は飛騨山脈が境界になるものの、若干東日本にも分布しています。
 たとえば、5万分の1の上高地図幅を見た場合、西日本岐阜県側の谷沢地名は、「滝谷、チビ谷、柳谷、左俣谷、穴毛谷」のほか「白出沢、大喰沢、秩父沢」など沢地名もあります。一方、東日本長野県側では、「涸沢、西穂高沢、岳沢、徳沢、六百沢」のほか「横尾谷、奥又白谷、上宮川谷」などがあります。
 これら飛騨山脈の地名は、明治以降にできたものも多いと推測します。西日本の谷地名の習慣のある人が名づけると〜谷に、東日本の沢地名の習慣のある人が名づけると〜沢になったのでしょう。また陸地測量部で地図に名前を記載する場合、飛騨側の住民に聞くと谷地名、信州側の住民に聞くと沢地名になったこともあるでしょう。
 さて、この谷・沢地名は、縄文晩期から弥生前期の文化圏と密接なかかわりがあるという考えがあります。鈴木秀夫氏は日本における、土器による各時代の文化圏の分布、血液のHB抗原やA因子の頻度分布、方言圏の分布などを比較して、先に沢地名をつけた人(仮に縄文人)が住んでいて、その後谷地名をつけた人(仮に弥生人)が朝鮮半島からやってきたと(読者に判断させながら)推測しています。その2つの文化圏の境界が、しばらくの間中部日本(岐阜・長野県付近)にあったというのです。西日本文化圏と東日本文化圏の違いが、さまざまな形でいまだに現代日本に影響しているようです。

【文献】鈴木秀夫(1978):森林の思考・砂漠の思考、NHKブックス