【離れ・・・教歌-2】 朝嵐身にはしむなり松風の、
                 目には見えねど音のさやけき


 朝嵐とは弦音も冴えて、眠気を覚ますという心からで、弓を引込んで、保つうちは、我もなく弓もなく、空々となって一物もさわる物なく、眠る心に至る。
朝嵐の離れは、至極の離れであることを各流派が詠っており、引き満ちて無念無想で、我も無く弓も無き境地から、さっと軽く放れた離れは、云わば入神の離れで、矢飛びは速く、風を切る羽音は高く、弦音は冴えて、身に浸みる程のものがある。あたかも朝の微風が、松の枝葉の間を、吹き通る音の、さやかに身にしみる如くであって、其の後に残った残身を見れば悠々として、不動の形骸を止めるのみである。それは、ちょうど朝風が、松の梢を払って、渡り去ったのも見えない程に、微動だもせずに、静まり返っている如くである。かく、射芸は鮮やかで強く烈しい心で進むが、形は悠然自若たる所に、弓道の至極がある。


             − 「弓道小事典」 全日本弓道連盟より −