金山を見下ろす国見山
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 呂瀬・金山(ろっせ・かなやま)地区は、丹生川村の森部川上流部にある谷あいの小さな平坦地です。今ではロッセ高原スキー場ができています。そのスキー場の後に慎ましく三角形の山頂を見せるのが国見山です。山名については、荒城俗風土記に次の説明があります。「駒ヶ原峠呂瀬にあり。此山州内第一の高山にして美景なり。此絶頂にして、国中山々眺望する故国見山と称すと也。」
 国見山のふもとの金山の地名は、昔ここで金鉱石を採掘したことに由来します。昔とはいっても、土地の古老の話では、先の終戦の3年くらい前まで掘ったそうです。森部鉱山といいました。さらに古老から次の話しを聞きました。「戦争前までは150人くらい働いていたが、戦争が激しくなるにつれて、だんだん人が少なくなった。横穴で300mくらい掘った。原石は白っぽくてその中の黒い筋が鉱脈だった。米粒くらいの金がはさまっているのを見たことがある。原石を砕いて水銀に溶かしてアマルガンというものを作った。これをこし取って高山市の業者に売った。水銀をふいごで蒸発させると金が出てきた。昔、砂金取りが、砂金を拾いながら川をさかのぼって鉱床を発見した。江戸時代に鉱山ではたらいていた人の墓がある。鉱山の最後の支配人は東京の小野寺という人だった。−−−−」
 この森部鉱山の起源は、戦国時代、天正末期ころ、神岡鉱山を金鉱山として開発した茂住宗貞に由来すると考えられます。実際、近くには佐渡屋敷(金山のある佐渡に由来)という字名があったり、最近まで宗貞という屋号の家もありました。(ゴールドラッシュに湧いた「森部金山」を訪ねる)(火山参照)
 国見山へは、駒鼻峠(金山から舗装林道を自動車で約20分)から尾根沿いに道があります。急坂を30分も歩けば山頂に立てます。立ち木のため飛騨の国すべてを展望できるとはいえませんが東側は開けています。笠ヶ岳、穂高岳を真近に見ることができました。ただし、クマがよく出没するそうなので注意が必要です。ふもとの川で、1時間くらい5,6人で砂金捜しをしましたが、やはり砂金は見つかりませんでした。
【参考】大坪ニ市(1860):廣瀬旧記 荒城俗風土記、(国府史学会編集発行、2003)
下畑五夫(2000):ゴールドラッシュに湧いた「森部金山」を訪ねる、北飛ニュース


金山地区からの国見山
【登頂日】1999年5月30日など
【標高】1318m
【場所】岐阜県吉城郡丹生川村
【記録】12:20 駒鼻峠 12:40 山頂着 14:08 山頂発 14;32 駒鼻峠