本堂山の馬頭観音と不動尊
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 本堂山は、飛騨古川盆地谷地区の北方の山です。その名は、山頂に昔あった馬頭観音菩薩のお堂に由来します。古川町袈裟丸の慈眼寺(じげんじ)の馬頭観音縁起によると、観音は、白山の登山口、越前石徹白村(いとしろむら)にありましたが、応徳2年(1085年)、夢のお告げで菅生村(現古川町数河、すごう)に移されました。後に姉小路尹綱(あねがこうじまさつな、室町期1400年頃の飛騨領主)は、城を守護する本尊として、この馬頭観音を谷村の本堂に安置しました。最終的に観音は、慈眼寺に移されました。(上城山松倉山参照)
 別の、谷地区の言い伝えでは、越中方面から来た旅人の発案により、昔街道筋であった本堂山に観音堂ができました。それが、慈眼寺に移され飛騨七観音のひとつとなりました。
 かわりに現在、本堂山中腹、峠ヶ洞林道脇に南無谷不動尊のお堂があります。この不動尊は、その裏書きから天保3年(1832年)に建立されました。お堂は、もともと谷地区の宮川河畔の堂高(やせ尾谷)にあり、宮川の洪水により少し上に移されていました。昭和55年(1980年)の、56豪雪の時、なだれでお堂が壊れたため、谷地区では、峠ヶ洞林道の中腹に新しいお堂を建て不動尊を安置しました。
 馬頭観音は、仏教の六道のうち畜生道に苦しむ衆生の救済にあたり、馬の守護神とされます。一方不動尊こと不動明王は、ヒンズー教のシバ神の異名であり、それが密教に入ったものです。不動明王は、国家安穏の象徴で、病気平癒、家内安全、五穀豊穣などにご利益があるとされ、炎を背負い、怒り顔をしています。
 本堂山へは、谷地区から峠ヶ洞林道が山頂近くまで通じています。しかし、鉄塔の下、標高700m付近から歩きました。途中、不動尊のお堂の中をのぞくと、不動様の石仏はやはり怒りの形相でした。山頂からは、古川盆地の大観と、黄砂にむせぶ乗鞍岳が見えました。
【参考】古川のむかしの話編集委員会(1987):古川のむかしの話、古川町教育委員会
岐阜県山岳連盟(1993):続ぎふ百山、岐阜新聞社
宗教民俗研究所(1996):ニッポン神様図鑑、はまの出版
川口謙二(1999):日本の神様読み解き事典、柏書房

南無谷不動尊
【登頂日】2002年4月14日
【標高】995m
【場所】岐阜県吉城郡古川町
【記録】12:35 峠ヶ洞林道(送電線の真下、標高700m、少し下の谷を登る) 13:00 林道の不動尊(ここから林道、760m) 13:25 林道終点 13:40 山頂着 14:45 山頂発 15:25 不動尊 15:45 送電線の真下